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屈人織辺の日記 12.中国飲茶への試論 [日記]

或る日、東京の体験教室でつくった

湯呑を、完成したので持って帰り

ました。一応志野がけ(釉薬)で

すが、特に佳さもなく、手に持っ

てもやや不安定でいまいちなもの

でした。

ところが、それでお茶を飲んで

みた処、うまいと感じました。

その前にぐい呑みを小さめに、

3個ほど作りました。

ぐい飲み3個-1.jpg

左上は白薔薇の造花の花: 

遠近の関係で奥の茶碗が小さく見え

ますが、右下の一番大きい茶碗と

それほど変わりありません。(錯覚)

この3種で梅酒を飲みましたが、さし

てうまいというほどでもないのです。

まだお茶のほうが飲めましたが、

それでも特にうまいわけではあり

ません。

ところが、下の茶器で飲んだら、

うまく感じたのです。

ぐい飲み3個-1.jpg

盃より少し大きいくらいか:

これまでは問屋街で購入した大きめ

の湯呑か、秦野の教室で手びねりで

造った重い湯呑で飲んでいましたが、

明らかに差を感じました。

しかし、なぜでしょう。持つのにも

半円形で茶の液体が安定しないし、

持って、落としそうな形になって

いる。どうしてこれがお茶の味を

うまくさせるのでしょうか。

直感ではこれは不安定なので、感覚

が尖るためにおいしく感じるので

はないかと教えていました。

今までは縦長で、余程でない限り

お茶がむやみにこぼれることはなく、

安定していましたが、初めて不安定

な湯呑を使ったので、その所為で

感覚が刺激を受けたのでしょう、と。

それはそれで正しかったのですが、

そう思うだけでは証明になりません。

たまたまその半円茶碗がそうだっ

ただけかもしれないのです。

そこから変化を加えたぐい呑みを

作り続け、どんな形に意味がある

のか、ないのか、または他の形

でうまいのを発見するのかの

日々が始まりました。

これまでして来た日常での身近な

実験と同じで、特別なことをやり

始めたということではありません。


次に驚いたのが、ルリ掛けで失敗

したくすんだ色になったぐい呑み

でした。これも電動ろくろに慣れ

るための過程で生まれた、試作の

ぐい呑みでした。

また持ち帰って、試しにお茶を

飲んでみると、もちろん、半円の

お茶のみより小さかったのです

が、これがうまく感じました。

そこで想像したのです。視線から

ぐい呑みまで目の両脇から鼻の

両脇を通ってぐい呑みに注目す

る角度を見ました。

つまり、その眼の両側の線が三角

に集まり、ぐい呑みを見ます。そこ

では鋭角が作られています。そう

いうように感覚も誘導されて、お茶

に意識が集中したのではないか、と。


中国の飲茶はとても小さい茶碗で

飲むというイメージがあります。

美術漫画にもそういうシーンが出て

きました。ですので、そういうもの

だと思っていましたが、先日中華街

で確か、担々麺の飲茶セットを頼ん

で、小さい飲茶のイメージは崩れ

ました。

目の前に置かれたポットは大きな

マグカップのようで、最初急須か

な、と思ったくらい。女子店員が

茶葉が浮いていることもあるから

吹いて、どかしながら飲むように、

ということを伝えてきました。

そうでしょう、急須にしては注ぎ

口がない。蓋を開けると、確かに

プ―アール茶の濃い茶系のお茶が

たっぷりのたまわっていました。

取っ手を掴んで持つと、重いこと。

こんなに重い入れ物で、たっぷり

の重いお茶は初めて飲みました。

中国の極小飲茶はどこにいった

のでしょう。

なるほど、中国の湯呑はふつうに

大から小まであって、どうもあの

イメージは特別のようです。

そこで調べてみました:

飲み比べ5-1.jpg

<アマゾン:広告より:::
宜興市は中国江蘇省南部に位置する、

歴史と文化に名高い都市です。紫砂

の陶器が名産品であり、中国の「陶都」

と呼ばれています。

紫砂壺は国内外で名高い茶器となっ

ています。宜興紫陶は、中国の地理

的シンボル商品です。

黒泥龍紋紫砂急須という宜興陶土

急須は、明代の正徳時代から作ら

れた、中国で唯一の手作りの陶器

の手工芸品です。>

と、7000年の歴史を持つ伝統品

ということです。

その湯呑の小さいこと。口径は

4,8cm、底径は2,8cm、高さ

も3cmしかありません。

このおままごとの大きさの湯呑

4個と急須で1万円します。

茶葉も1急須に1種類をお勧めする、

とあるから電子レンジはOKでも、

手洗いで、また長く使うとお湯を

注いだだけでお茶の香りがする

「茶山」という物質が急須内に

発生して、茶人の雅な気分を

引き立てるというものらしい。


その伝統明媚なぐい呑みを作ろ

うとしたところが、ぐい呑み3種

の中に偶然、同じ口径・高さの

ものがありました。

飲み比べ1-1.jpg

普通の急須で大きさを比較できる

ようにした。件の茶碗は右下のもの。

左上から、重い湯呑・半円茶碗・

それよりうまいと感じたルリ掛け

ぐい呑み・白っぽいのが最少ぐい

呑み。(急須を除いて、自作)

飲み比べ2-1.jpg

遠近で手前のうす青(白とも)の

ぐい呑みがルリ(青)掛けの、奥の

ぐい呑みよりも大きく見えるが、

口径は同じ。で、背が低いのでそれ

だけ小さいです。


さて、これらを毎日、多いのは

毎晩ですが、それぞれ飲み比べ、

今はルリ掛けと最小ぐい呑みだけ

を並べて飲みっ比しています。

そこで結論ですが、個人的な実験な

ので70%の支持しか期待できない

し、それが適度な賛成票だと思って

います。

まず気づいたのは、習慣の影響の

大きさです。安定した縦長の湯呑で

飲んでいて、最小のぐい呑みを

試飲した時は一口で、するっと

お茶はなくなりました。ところが

です、ルリ掛けのぐい呑みで飲み

慣れてから、白のぐい呑みを飲むと、

一口半から二口に増えたのです。

続けていると、それが二口半か

ら三口に増えてしまいました。

気づかず、自然にちょびちょび

飲むようになったのですね。

そして、これが中国飲茶だと、

思い当たりました。中国の茶人

はお茶をどれだけうまく飲める

か、を試していたのでしょう、

大昔から。だからそのうちに

小さい茶器のほうがうまいこ

とに気づきました。

これは感覚が鋭角に尖るから、

鋭敏になり味覚の感度の容量

を増やしたのだろう、と推測

されます。

ぐい呑みだったものが、もっ

と小さくしたらどうだろう、と

限界まで手で持てて、それなり

のお茶の液体量がある器、それ

が伝統の茶器になったのだろう。

明らかに追及の結果だという

ことが伺える、と考えました。

これが中国ミニ茶碗の由来だろ

う、と。

お気づきでしょうか。これも手前

味噌になるのですが、この試論

を述べるために実験のぐい呑み

の小道具が、このために作られた

のではないこと。最初の手びねり

の一般的な湯呑は除いても、体験

のための試作が二つ、もうひとつ

最小のぐい呑みも余った粘土で

作れる大きさで作ったものなので、

それを作ろうとしたわけでは

なかったのです。ところがそれら

が揃うまでに感覚の気づきがあ

ったので新しくぐい呑みをいろ

いろ作るつもりでした。ところが

です、それを見越したかのよう

に以前のものが出来上がって、

結果、新しいぐい呑みを作らず

とも、それらで間に合ってしま

いました。実に楽しい偶然が

あったということです。

まるで、見よう見まねで作り

ながら、なんの意図もなく試作

を作りながら、今日を見通した

かのような器を作っていたとは、

驚きと言える?でしょうか、です

が、そうは言えません。

ぐい呑みは互いに似たようなもの

です。その二つが偶然役に立った

からといって必然な仕掛けが裏に

あったとは言い難いのです。

ただそうとも考えられる、そうい

う運命的なと思わせてくれる日常

というのは私にとって楽しい、そう

思わせてくれます。



風通しのよい、屋根ばかりの縁台

で沈みゆく夕陽を眺めながら、

お茶を殊更、小さな器でちびちび

飲む、ということに雅を見出した

茶人は日本にもいた気がします。

いや、今でもいるでしょう。そう

思うだけで、私ももうひとつ、

完成度の高いぐい呑みを作りたく

なってきましたから。

秋の夜長に備えてー。



2023年  秋
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