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半分の随意が移行する迷想 [迷想]

はじめに、<休憩日記 2.

 10. 23 月 

休憩は続く。


習字の練習をする。準備は2か月

も前に済んでいたのでようやっと

という処だが、半紙に3枚書いた

だけで(2か月前、始めに半紙

半分書いて、あまりに下手だし、

面白くないので中断した)、字が

まとまってきた。手本は持って

いるが、それを見て書こうとは、

思っていない。

なぜ書くか?

相変わらず、書道とは何か?とい

う疑問のためだが、少し、書道と

いうものに欺瞞を感じている。

それはどうして感じるのか、それ

を明らかにしたいのだろう。



<半分の随意が移行する迷想

上弦の月が少し膨れ、昨日が半月

だったことがわかる。駐車場で

暗い影にすっぽり覆われる処を

探してそこに姿を晦ませて、月を

よく見る。

少し歩こう。

近隣の小さな公園まで歩く。

遊具はブランコと滑り台、鉄棒が

あるだけで他は雑草が広がる。切り

残された桜の木が三本ある。

その広場に立つと、月が遠くなっ

たのがわかる。民家が少し遠くなり、

視界が開けたので、月が遠いのも

ふつうに錯覚だ。周囲との間が開く

と、対比の関係で月は小さく見え

るのだ。

感動して、夜に外を散歩したくな

るのはそうそうはない。

TV番組のSFで「ぺリフェラル」を

観て、リアルを感じたが、それが

何かはまだわからない。それで外

を歩きたくなった。

この「ぺリフェラル」は映画「マト

リックス」以来の感動・衝撃もの

だった。1999年以来となるから、

24年ぶりだ。

原作はウィリアム・ギブスンの小説

でその出だしの音楽と映像からもう

その兆しがあった。興奮して、期待

が高まったのだ。いつもと違うのは

落胆しなかったことだ。

久しぶりに面白いものを観たと思っ

た。特に驚いたのは、調べてからだ

った。作者は僕よりも2歳年上だった。

つまり、同年代の人だった。

僕からでも設定が斬新で会話が予想

された返答の先を答えていて、すぐ

に質問が切り出される、といった

知性的なスタイリッシュさだ。それ

でいて情感が保たれ、格言じみた

意味ありげな暗喩が飛び交う。


僕はひんやりした夜を歩きながら、

考えた。ぺリフェラルはパソコンの

周辺機器のことだが、副題は接続

された未来、で未来世界が現在に

失われた(盗難された)データを

取り戻すために接続して来て、未来

世界との部分的な頭脳戦争になるの

だが、アメリカドラマによくある

ドライな展開ではなく、登場人物の

個性が光り、またその情感にドラマ

進行が左右される。ポップス、軍隊

経験、農場に未来技術が加わり、

未来世界では空間をスクリーンも

なしで指先で操作して、空疎な現実

ににぎわう人々の映像をかぶせる

ことができる。ほとんどその技術が

バイオテクノロジーで体に埋め込ま

れている。そして、そのアンドロイド

じみた人間そっくりのロボットに

移入して、主人公たちが活躍するのだ。

月を見ながら、考えるに、この現世で

僕らが使っているのが時間でそれは

存在しないだろう。だから、この

時間の概念から未来への転送とか

信号でのバーチャル的な移送を考え

るのは無理なだけだ。

しかし、このドラマではパラレルの

世界を考えている。これはいくつも

の時間軸が無数にある世界をいう

ものだが、ふつうはその理解に時間

軸が使われ、考えられているが、僕

らの時間では無理だが、パラレル

世界は時間の考え方ではなくても、

存在は可能だ。その時は時間に代わる、

別な種類・概念の軸が必要になるが、

その考え方はまだないか、まるっき

り実存しないか、まだ発見されてい

ないか、だ。

僕がリアルさを感じたのは、その未

発見の新しい時空軸のことではない

のか、と思ったことだ。この作者は

僕は尋常ではない、と思う。まだ

インターネットも知らない直近の

時代で早くもそれらしいSF小説を

書いて多くの賞を受けている。

まだ読んでいないので、具体的に

書けないが、なにか飛び抜けた

ものをこの人は受けたのではない

だろうか、とまで思わせる。

それは完璧にインスピレイション

の世界のことだろう。そして、何

らかの事実を含んでいる、そう

したものだ。


迷想は楽しい。マトリックスに

未来は感じなかったが、それは

想定内のおとぎ話だとわかったが、

ペリフェラルにはなんらかの未来

の具象な感触がある。確かにそう

感じた。




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