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野良犬のように生きてなんぼなのかとは思わないが [貧困]

今朝は今朝でなくなった。昼でも

なくなった。実際、起きたのは、

(起床だが)夕方だった。

午後4時前に起きたので、夕べ深夜

a.m.3から布団に居たので、12時

間以上布団にいたのだが、睡眠は

10時間くらいだろうか、あとは

うとうとと半睡で目覚めていた。

そうなると、よく寝たのは、近々

の7時から15時の6時間ちょいだっ

たろう。

寝足りないのは、なにかしら不快感

が頭に残る。が、こうして寝すぎると、

頭にぼんやり感が残る。それは蓄積

疲労が体に現れたからで、そのだるさ

は疲れの名残りなのだ。

しかし、出たので楽になるのは知っ

ているので、だるいながらも爽快感

がある。

なので、ただ二度寝、三度寝で寝過

ごして、一日頭が重くて不快なのと

は一線を画している、心は反対に

爽快なのだから。これは心が後の

爽快を予感してのもので、期待感

なのだろう。

疲労度をチェックするという日頃

の活動で疲労が考えられる項目を

ピックアップしてそれに時間や

数量で数字を与えて、明日やその

後日の影響も数字で決めて、毎日

チェックすることで蓄積疲労も

あぶり出そうという疲労度の表

を編み出して、もう10数年続けて

いるが、蓄積疲労は日頃感じない

ものなので、どうしても自覚でき

ない。面白いことをしていると

集中が過ぎて夜明けまで、という

ことが当たり前で、徹夜こそ最近

月間で数えるくらい少なくなったが、

疲労はそれだけではないので、特に

蓄積する質は困りものだ。

焦りは禁物、という常套語があるが、

それを克服しただろう、と思えるの

はごく最近のことで、以前は出かけ

るにも二つ以上の用件がなければ、

ひとつではよほど重要でなければ

出かけなかった。それと同様に

多くのことを一遍にしようという

気持ちの焦りがなかなか抜けず、

行き過ぎることが多かった。

つまり、自分に対してはブレーキを

かける必要があったが、そのタイ

ミングが測れず、発熱してから、

3日も4日も休養を余儀なくされる

事態に追い込まれた。持病で38・

39度の高熱を発すると、病院通い

で1週間、その後の安静で3日、

その10日間は無為に費やされた。

それは30代の頃から始まり、

今日までに7回を数えた。反省する

ハズだ。


疲労度表を作成して、毎日チェック

をしても7,8年はそんな行き過ぎの

状態が続いたのである。不思議にも、

だんだん役に立つようになったが、

それでも年々体力などが落ちるよう

になったので、これからも蓄積疲労

の予想は困難なままだろう。

なので、夕方まで寝てしまって、ああ

疲れが取れてよかったと思う、ところ

が日が短くなって活動に不都合になる

起床はこれからも続くだろう。

いつ寝ようと睡眠は自由だ。しかし、

数十万年も主に夜、睡眠で疲労回復し

てきた人類の末裔であるから、寝ない

でいいという自由はない。

特に、ずいぶん以前から思うのだが、

深い睡眠にはそこになにか幸福の芯

か、その一部か端っこか知らないが、

そういうものがありそうで、その深い

睡眠をしたと思った時は、自然にそう

感じるので、そこまで寝ないと起きて

も、8時間とかではなく、不快に感じ

るようだ(多い)。

そう思い出すと、睡眠はただの身体の

疲労、心の内面心理の解放だけでは

ない、なにか生命に直接関わった謎

がありそうだ。


人的にわかっているのは、体だが、

神経を休めるのには必須だろう、と

いうこと。腱鞘炎になって、すぐ

治ったが、時々手を使いすぎると出る。

初め驚いたのは、運転している時に

一度だけだが、左手の人差し指から

親指を通して手首10cmくらいまで

金属の棒が通って、手が動かせない

と感じた時だ。なにが挟まっている

のだろうと見たが、左手はそのまま

通常の左手だった。腱鞘炎だと

わかった。ちょうど陶芸教室の帰り

で、粘土をこねると疲労するのだ。

なので、たまに小刻みに人差し指が

震えることがある。そこで体の

無自覚な緊張を解くべく、リラッ

クスの体操をすると、少し休めば

回復する。よく寝た日はたぶん、

その経験はしていないと思う。



僕は健康オタクだからこれがふつう

だが、自分の体は自分でチェック

するのが早道だと思う。

問題はチェックする気持ちを常に

忘れる度に心に塗り替えるのを

続けることだ。忘れたっていいん

だ、その気持ちを持ち直すのさえ、

続ければ。そこがポイント。

するだけでたとえ結果が伴わなく

ても十分、合格だ。

それは生命の原理の一部なのだろう。

僕らはいつ死んでも自由だ。でも、

それは生きるのを忘れた行為だ。

これだけは先延ばしでいい。長くて

10年以内、早ければ明日か、1年後

に必ず事態は変わる。これは間違い

ない。これほど間違いのないものは

ない。因果の保証付きだ。

だから、まず今日を生きてみる、そし

て明日もまたその日という「今日」

を生きてみる。肝心なのは生きようと

することだ。

これだけは先延ばしで正解になる。

僕は大鬱になった時、前に書いたが、

ほんとうに自分はそれから逃れられ

るほど(自分で思っていたようには)

強い人間ではないことにショックだっ

た。自分で自分が自殺する可能性の

ある人間とは信じていなかったが、

それが誤りであるのが証明されて

しまった。わかったつもりの思い

込みだった。僕はその時の対処だ

が、死ぬ気持ちのままそれに決し

て触れずに、ただ時の過ぎるのを

待った。

それは引きこもり中だったので、

死が遠のいても終わらず、次は

被害妄想が来た。(被害妄想は

なぜか薬があって消せます)

それがまだ15年か、そこら前だ

とは信じられない。還暦には元気

になり、バイト先でも落ち込んで

いたとは誰にも信じてもらえそう

にないほど、二人分を働いた。

と言うのは、オランダに行くので

辞めますとなったのだが、僕が

辞めた後は僕の仕事は二人を雇っ

てさせていたから。暇そうに見え

る病棟の管理の仕事だったが、

マニュアルどおりにすると、15分

に1回は仕事があるので、僕は

勝手に融通の利く時間に細かい

仕事を一遍にして、自分の休憩

時間を増やしていたのだ。あと、

ルールも勝手に変えていた。その

ほうが自分にとっても精神的に

やさしいし、主に統合失調の患者

にとってもやさしいからだ。時や

人に応じてルールどおりでは不都合

が生じるのはこの世では当たり前だ。

実際その通りにして、患者と喧嘩に

なった不器用な職員もいた。

僕はその所為かどうか、自慢だが、

患者さんにはなぜか非常に歓迎

され、尊敬すら集めていた。それ

は患者に夜中、熟寝中に起こされ、

寝起きでつい叱責してしまい、

彼は「わたしはなぜ〇〇さんにそう

言われなければならないのか、わか

りません」と言って、涙を浮かべ

ていた。抗議ではなく、いつもの

ようにとの懇願だった。このとき

ほど反省し、恐縮したことはなかっ

た。彼の僕への信頼が如実にわかっ

た。他にも患者と職員の事件があっ

て、怒り狂った患者に声をかけたの

だが、彼は恐縮してしまい、あとで

職員から「あの患者は〇〇さんが

好きらしいです」と言われ、彼への

夜の訪問でドア越しで軽く済ます

というルール違反(ほんとは夜起き

ていたら、直接注意しなくてはいけ

ない)をしていたのだが、それが

こうも効いているとは思わなかった。

彼には夜の訪問がかなりストレス

だったらしい。ケガの功名だったか。



だから、この世がおかしい人だらけ

だと書いたことは飛躍ではないのだ。

統合失調症は病院に通うことになる

人でも8割が社会生活に戻ると。

どうして原因も60年前からわかっ

ていないのに、統合失調症という

名前があるのか。これはアメリカが

最初に命名したからだろう。それは

アメリカ社会がそういう患者で

あふれた歴史経験を持っているから

だろう。それで、日本にもそれが

遅れてなだれ込んでいるからだ。

もう今までとは違うのだ。人生相談

なら、心理資格とかではなく、それ

以上に神経症の医療的な知識や経験

が必要になる。そうでないと、人が

殺したいと言って、無差別殺人に

赴いてしまう若者をいつまで経って

も、なくすことはできない。

犯罪に走るほど無知で無駄なこと

はない。

経済事情でほんとうに落ちている

曲がった釘とか瓶のフタを売る

インドの避難民、明日ではなく今日

食うために、給料ではなく、食べ物

が、それが今日食べられるか、家も

なくホームレスの手製のバラックだ。

それが実際の貧困というものだ。

体をケガしてもう人生の目標という

なにかができなくなった絶望は偽物

だ。インドの乞食は親に売られた

子供たちで、気の毒だと思われる

ために、その手足を半分から切断

される。

犬のような手足になって、それでも

生きなければならないのだろうか。

これも書いたが、インドのバスで

停車中に物乞いが乗ってきた。

上品なおばさんが四つん這いで

近づいてきた。僕は息が止まった。

そうだった、声が出ない。それほ

どショックだった。見世物小屋で

はない、どこにでもいるふつうに

やさしそうな人だったので、それ

は酷いギャップだった。

愛すると(自分で思い込んだ)人か

ら振られてしまった。もう生きられ

ないと感じる。その時、それを捨て

て恨みに替えてしまう人はストーカー

になる。恨みはこう言い訳する。:

相手を殺してもいい、自分も死ぬ

のだから。:お互いに死を犠牲に

するから等交換というわけだが、

これは計算であって、正しくない。

君は好きに追って、相手は嫌いな

もの・干渉・言葉を押し付けられる

のだから、不公平この上ない。

死んだからといって、その犠牲の

気持ちはわかるがそれは一方的な

犠牲であって、それはすべてを

償えるわけではない。千回死んで

も足りない。

要は自分がそれを我慢できないのだ。

この執着をどうすればいいのか。

気持ちから生きる人なら、他人に

話すことだ。話して話して、気持ち

を出し切るまで涙枯れるまで話す。

あとは、・・。

考えで生きる人なら瞑目して、相手

とのことをすべてその経過を思い出

すことだ。どんな小さなことも、

思い出してそれは何だったのか、

どうしてそうなったのか、情景を

目の前に描いて自分と相手の

(想像の)心に尋ねることだ。

あとは、・・、

そう、あとは時間が解決する。

真剣であればあるほど、早い。



そこまでの貧困とそこまでの

身体障害とそこまでの愛への絶望、

という3点セットで2点でも重なれ

ば、僕は限度を超えると思う。

境界線だろう。

だから。ベートーベンが耳が悪く

なっても音楽を作曲したとか、

ヘレンケラーが盲目・耳が聞こえ

ない・(当然、うまく)喋れない

という三重苦の人が奇跡的に

支えられて政治活動家にまで

なったという偉人伝などどうでも

いいのだ。

ベートーベンは偉大な音楽家だっ

た。けれども、甥っ子を可愛がり、

君子教育を押し付けて、甥っ子は

追い詰められて自殺未遂までした。

偉人ではなかった。

ヘレンケラーはシュタイナー教育

で知られるルドルフ・シュタイナー

がいなければ私は生きていけなかっ

たでしょうと、語った。シュタイナー

は超能力者・霊能者である(と言わ

れる)が、ケラーによい暗示のある

言葉を残したようで、だが、イギリス

国王だったか、過去の透視で歴史時間

の明らかな間違いを犯して、「アウト

サイダー」を書いたオカルト・犯罪

学者のコリン・ウィルソンにそれを

指摘されている。

ともかく、そういう闇の暗示に助け

られる、という人間の根本の弱さを

克服したような偉人というものでは

ない。

ベートーベンにしてもケラーにし

ても、それは尊敬すべき我慢のでき

る人だったが、ふつうに欠点のある

人間だった。自分とは全く違う人を

手本にせよ、というのはその意味も

意義もわかるが、それは正しい方法

だろうか。

僕は個人的にだが、偉人は信じない。

最初のノーベル平和賞の受賞者だった

シュバイツァーも時間の観念のない

アフリカの人の労働の休んでばかり

のいい加減さに怒鳴って仕事をさせ

ていた。彼の理想は立派なもので、

医者になるため、7年も医学の勉強

をしたが、その尊敬すべき人格は

認めるが、彼の理想の本来の姿が

彼には決して見えていたとは言え

ない気がする。

アフリカで患者を助けると、神に

感謝しなさいと祈りを捧げるよう

に言って、キリスト教を受け入れ

るように言った。

つまり、宣教者だった。西洋は神に

囚われた世界だ、心の奥底まで。


究極の貧困、五体や五感の不満足、

愛の絶望という三つのうち、二つ

にでも襲われたら、それでも生きて

ほしいとは願うが、それでも野良犬

のように生きるのは、・・生きる

ことはできる、だがそれでも心が

折れるのなら、僕は止めない。

死んでいいよ。




弱い人には言わない。強い人になら

言う。または僕のようにへそ曲がり

になら、言う。死んで来いよ、と。

それで僕はそう自分に言われたので、

それなら逆に生きてやろうじゃない

か、まだ生きようとするのは無理

でも、呼吸だけは続けられると、

息だけして数か月を凌いだのだ。

たぶん、自分はそうすると、うす

うすわかっていたのかもしれない。

人にはそれぞれの自分がある。対処

法・対症療法はそれぞれ違うから、

自分をよく鑑みて、未来に向かっ

て元気なうちに「そうなったら

どうするか、」シュミレーション

の意味でも考えておいてもいい

と思う。



今夜は中秋の名月とか。

夕食後に外へ出て、雲の合間の

満月を妻と二人で眺める。家に

戻って、妻が言う、「月を見に

外へ出てくるのは、近所でも

うちだけね」と。確かに、スー

パームーンとか金環食とかで

なにかと夜外に出るが、この20

年以上、近所の人で出てきたの

に会ったことがない。

「もったいない」「そうね」

と、うちは不思議な家族なの

だろうか、この近所ではそう

なのかもしれない、笑。
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