SSブログ
-| 2023年12月 |2024年01月 ブログトップ

火星の科学者たち [古代]

鈴、というか鈴の音について、

まず書くつもりである。

駐車場は高台になった壁の上に

ある。車のキーを取り出しながら

ついていた鈴の音を聴いた気が

した。落としたのだろうと周囲

を見てみるが、ないので後に

しようとそのまま歩いた、と

いう話をだいぶ先日になるが、

した。

それから折につけ探してみたが、

3か月以上、ついに見つからない

ので諦めた。その途中にも後日談

があって、それを話す機会を得た

と今日思った。なぜなら、その

道筋の手前で鈴を拾ったから。


半年から1年で鈴が出てくるの

かもしれない、というほぼあり

得ない発想なのだが、その探し

ていた頃はそう思っていた。

それが想定通りに出てきたのだ

から、やはりな、とも思い、

よく出てきたとも思うが、その

拾った鈴は、落としたものでは

ない。それは1円玉くらいの大き

さの布地の丸い姫人形が小さな

小判と一緒に同じくらい小さな鈴

がついた根付だった。

1年近くも経てば、同じものが

現れるはずもない。鈴も半分く

らい小ぶりで音も小さい。それ

をまた、車のキーに結びつけた。


では落とした後の後日談を::

実はその後1,2週後に、車から

降りて駐車場を出る間際に、

隣りのマンションの1階のほう

で鈴の音を聞いた。フェンスが

あり見えなかったが、猫が鈴を

つけて歩いたのだろう、珍しいな、

今どき猫に鈴とは。と、思って

いたら、その短時の音だけで

後は鳴らなかった。猫の姿もない。

それどころか、もう何年もこの

駐車場で猫の姿を見かけたこと

はなかった。

そこで思った。幻聴だったんだ。

すると、あの時に落としたと思っ

た鈴の音も幻聴だったかもしれ

ない。まっことそう思うと、そう

思えてきて、落としたのではなか

った、と自分の中では解決して

しまった。

ま、想像のレベルなので、探すの

はそれなりに続けたが、・・。

そこでこれまでの復習だが、僕は

自然に即して科学的思考をして

いるつもりだが、科学者というの

は数理的な結果でいきなり結論を

出す者がいる。それは科学の

前提になる科学的思考がわかっ

ていないのではないか、と疑念

を抱かせるものだ。

例えば、犬の嗅覚は人間の100

万倍などと言うが、嗅覚という

場所を使うからだろうが、それ

を人間と同じ匂いだけで済ませ

るのは、かなり不都合なことだ。

人が木の影など見えない場所に

いれば、そちらが風上ならば、

見えず、聴こえずとも、人がいる

のをわかる、ということから

推測されたのだろうが、それが

単純に人と同じ匂いへの感度で

あるなら確かに犬には犬の嗅覚に

よる世界像があるだろう。

しかし、だ、100万倍の嗅覚って

それくらい強く匂うということ

なら、唐辛子やわさびなんかは

どうなのだろう。その強烈さが

100万倍なら、嗅いだ途端に気絶

してしまうのが落ちだろう。

寿司屋の近くや食卓の刺身の側

には寄り付きもしないはずだ。

だから、犬の嗅覚というのは

単純に人間の嗅覚に比較して

比例で数値を出すべきことでは

ないのだ。犬は嗅覚の中に、また

は嗅覚を働かせると同時に、何

らかの“気”を感じる器官(感覚)

を働かせているはずだ。

そうすると、それがあれば米国の

犬を飼っている老嬢の話も納得さ

れる。彼女は健康診断を終えて、

何事もなく安心して帰宅すると、

飼っている犬が近づいてきて、

胸に鼻先をつけてから、悲しい

顔をして離れてしまう。いくら

呼んでもいつものように近くへ

来ないので、二日ほどしておかし

い、と思い胸の健康診断をもう

少し詳しくしてもらったら、癌

が発見された。老嬢はその犬に

大事な絆を感じていたので、その

ままで済ましてはいけないこと

に気づけたのだろう。

この話はまれな例ではなく、犬は

本来、どの犬も癌の発生を嗅ぎ

分けられるそうだ。と言っても、

レントゲンではあるまいし、体

の中の癌を犬はどうやって知る

ことができたのか。匂いは菌が

もたらすのだから、そんな匂い

があれば、化学的にも科学的にも

感知する装置を発明できるはずだ。

だが、そんな装置は聞いたこと

もない。動物の感覚は未知の

世界だからだろう。


最近の科学ニュースを見てみよう。

「人類の祖先は約90万年前に約

98.7%減少し絶滅しかけていた

ことが明らかに」(Genomic infe-

rence of a severe human bottle-

neck during the Early to Middle 

Pleistocene transition)

https://www.science.org/doi/

10.1126/science.abq7487

(Human ancestors nearly went 

extinct 900,000 years ago)

https://www.nature.com/

articles/d41586-023-02712-4

サイエンス誌とネイチュアー誌

の記述である。

これまでの研究では約400万年前

~200万年前に生存していた猿人

や、約180万年前に誕生した原人

の化石は発見されていたが、約95

万年前~65万年前のアフリカ・

ユーラシア大陸に生息していた

人類の祖先の化石はほとんど見つ

かっていなかった。

イェール大学の人類学者は、古い

化石から古代のDNAデータを採取

することは技術的限界があり、人類

の祖先に関する人口の動態について

はほぼわかっていないと。

そこでそのミッシングリンクのよう

な約100万年前~80万年前の古代

人類を研究するチームが、現代の

人間の遺伝子データから人類家系

図を構築し、それを遡る方法で

その進化を探る調査をした。

その結果、約90万年前に人類の

祖先の可能性がある未知の種が

わずか1280頭にまで減少して

いたことが判明したと。

この時期は地球の寒冷化で気候

の変動が激しく、そのために

人口減少して、デ二ソワ人や

ネアンデルタール人の共通の

祖先が誕生した可能性がある、と。

その後約81万3000年前に再び

人口を拡大したが、それがどの

ように、またどうしてかは不明

だとのこと。

山東第一医科大学のハオ氏は、

約90万年前の減少によって遺伝

的多様性の約3分の2が失われ

たと、そこからの進化は不明な

点が多い、と。

遺伝子科学でそんなことまで

わかるんだ、と驚きワクワクも

するが、読み返すと、判明した

ことは人類が約90万年前に減少

した可能性があることだけで、

確実な情報は0だ。

わかりませんでした、と。

考えてみれば、90万年と一口に

言っても、90万年!である!笑。

日本史を見てみよう。縄文時代

は1万6000年続いたらしい。

そのあとの弥生時代から現代まで

2300年ちょいくらい。あの源氏

物語の平安時代から1000年ちょい。

どこにも「万年」はない。単位が

違うくらい古代の人類は大過去だ。

縄文の終りからでも、現代までの

時間は縄文時代の7分の1くらい。

その頃のことがわかっていない

のに、たった遺伝子の情報ひとつ

という方法だけで多くのことを、

また確かなことを求めるのは無理

だろう。

その人口減少の情報が火星で化石

になった火星人の情報だったと

しても責めるに当たらない。それ

でも通用するくらい可能性と不明

だらけの情報だからだ。

人間の遺伝子情報だけでなく、

植物や動物の遺伝子情報から

でも、きっと有力な情報が得ら

れることと思う。そうすると、

地球環境からの類推も可能だ

からだ。

たった1100年前の平安時代に

電車も地下鉄もなかった。

近代の文明スピードの速さは

異常だ。しかも、歪めた資本

主義思想と金融資本に支配され

て、さらに科学的思考も知らな

い科学者たちがわんさか生まれ

る近未来において、この先走り

傾向はまだまだ続くのだろう

から、僕らはその対策が急が

されるハズなのだが、近隣から

声をかけられたことはありま

すか?

戦争で破壊されるかもしれない

から360度映写機で文化遺産や

施設を撮っておくというのは、

「邪道」ですか、とか。あらゆる

食物の遺伝子である種子を保存

して、飢餓時代に備える、という

のは最後の手段であって、その

前に種子が育つ環境をどれだけ、

どこにつくればいいのか、と

いうような課題のほうが全体で

考えるべきだと思うのだが、

皆、神経科に通ったり、がん

治療に忙しいのだろうか。

科学者も将来に人類が一部逃避

するために、火星の研究で忙し

くなるのかもしれない。

僕らの意見はいつでも知性から、

認識からの方向で定められた

二極性で行くしかない。くり返す

が、この間のノーベル経済学賞

でも、同じ理論だから提唱した

二人の経済学者に贈られたが、

彼らの論文の結末はまったく

違う方向だったという。

新しい論に賞を贈るだけで、

ノーベル委員会はその結果には

責任を持たない、ということか。

どんな時代のどんな意見も、誰

も二つに分かれ、そこで流行や

趨勢という世間や社会政治・経済

の力関係が絡み合って、どちらか

の意見の方向に舵が切られる。

それが重要であって、その結果は

やはり、よかった、悪かったで

意見は二極になる。

僕らはその時代の常識と動勢の

中で正義とか秩序とか、権威や

評判・評価や空気というものの

中で半ば強制的に、時代に突き

動かされて、どちらかを選んで

進む。この大きな意味での前例

はこれまでも繰り返したし、

これからも繰り返される。

僕らの体の常識ホルモンに促され

て、(俯瞰すれば)同じことを

くり返したい欲求に身を任せたい

社会体質になった固定化しつつ

ある絶滅予備軍の生物なのかも

知れない、、と思ったりする。


もちろん、これも意見なので

あるから(いつの時代にもあった

人類滅亡論に似て)この真反対

とも言える意見も持っているが、

今は、こちらのほうが的を得て

いる公算が大きいと踏んでいる、

その次第だ。

意見じゃなくて、事実から見える

(俯瞰・想像・検索)ことを信じる。

それはすでに確信していることを

再確認するだけだ。

すると、何が見えているのか、

それは本当に見えているのか、と

初期の自問に戻ってしまう。

あとには膨大な自己への問いが

広がって、・・・・・何も

言いたくない。・・・・


今宵も夜を友にするばかりだ。

(酒と月夜に遊ぶ詩人、李白の

「月下独酌」みたいだ。)

李白の生涯は結婚もしているし、

子供もいるし、宮仕えもして、

晩年に近くは逮捕もされて、

許されているが、青年の頃から

ほぼ一生放浪の暮らしで、豪気

な性格だったらしく、孤独も

笑い飛ばす風だった。

放浪には昔から憧れる。どうやっ

てあちこち旅しながら食ってい

たのか。生活力がなくてはとても

放浪などはできないだろう。

観光ばかりで素敵な暮らしに

見えるのはその身に経験がない

所為だろう。

逆に、妻子がいても、その家を

中心に放浪はできるのだからと、

現代でやってみてできるのは、

ある種の社会適応がある障害者

の一部の人なのかもしれない。

ホームレスは家庭問題から夜逃げ

をした人がほとんどだ。だから、

明るいホームレスもいて不思議

じゃないが、それを許さない

人や制度の環境は困ったものだ。

火星に行ける日は来るだろうから、

自分の子や孫が火星で放浪でき

るように応援してもいいのだろう。

今の技術なら、火星探検の実況

中継ができるだろう。そのため

にはやはり、科学の一部門の

研究者になるのがいいだろう。

地理や植物、生物、環境学者

などなら、思う存分火星を歩き

回れるだろう。

うらやましいかぎりだ。




nice!(2)  コメント(0) 

屈人織辺の日記 12.中国飲茶への試論 [日記]

或る日、東京の体験教室でつくった

湯呑を、完成したので持って帰り

ました。一応志野がけ(釉薬)で

すが、特に佳さもなく、手に持っ

てもやや不安定でいまいちなもの

でした。

ところが、それでお茶を飲んで

みた処、うまいと感じました。

その前にぐい呑みを小さめに、

3個ほど作りました。

ぐい飲み3個-1.jpg

左上は白薔薇の造花の花: 

遠近の関係で奥の茶碗が小さく見え

ますが、右下の一番大きい茶碗と

それほど変わりありません。(錯覚)

この3種で梅酒を飲みましたが、さし

てうまいというほどでもないのです。

まだお茶のほうが飲めましたが、

それでも特にうまいわけではあり

ません。

ところが、下の茶器で飲んだら、

うまく感じたのです。

ぐい飲み3個-1.jpg

盃より少し大きいくらいか:

これまでは問屋街で購入した大きめ

の湯呑か、秦野の教室で手びねりで

造った重い湯呑で飲んでいましたが、

明らかに差を感じました。

しかし、なぜでしょう。持つのにも

半円形で茶の液体が安定しないし、

持って、落としそうな形になって

いる。どうしてこれがお茶の味を

うまくさせるのでしょうか。

直感ではこれは不安定なので、感覚

が尖るためにおいしく感じるので

はないかと教えていました。

今までは縦長で、余程でない限り

お茶がむやみにこぼれることはなく、

安定していましたが、初めて不安定

な湯呑を使ったので、その所為で

感覚が刺激を受けたのでしょう、と。

それはそれで正しかったのですが、

そう思うだけでは証明になりません。

たまたまその半円茶碗がそうだっ

ただけかもしれないのです。

そこから変化を加えたぐい呑みを

作り続け、どんな形に意味がある

のか、ないのか、または他の形

でうまいのを発見するのかの

日々が始まりました。

これまでして来た日常での身近な

実験と同じで、特別なことをやり

始めたということではありません。


次に驚いたのが、ルリ掛けで失敗

したくすんだ色になったぐい呑み

でした。これも電動ろくろに慣れ

るための過程で生まれた、試作の

ぐい呑みでした。

また持ち帰って、試しにお茶を

飲んでみると、もちろん、半円の

お茶のみより小さかったのです

が、これがうまく感じました。

そこで想像したのです。視線から

ぐい呑みまで目の両脇から鼻の

両脇を通ってぐい呑みに注目す

る角度を見ました。

つまり、その眼の両側の線が三角

に集まり、ぐい呑みを見ます。そこ

では鋭角が作られています。そう

いうように感覚も誘導されて、お茶

に意識が集中したのではないか、と。


中国の飲茶はとても小さい茶碗で

飲むというイメージがあります。

美術漫画にもそういうシーンが出て

きました。ですので、そういうもの

だと思っていましたが、先日中華街

で確か、担々麺の飲茶セットを頼ん

で、小さい飲茶のイメージは崩れ

ました。

目の前に置かれたポットは大きな

マグカップのようで、最初急須か

な、と思ったくらい。女子店員が

茶葉が浮いていることもあるから

吹いて、どかしながら飲むように、

ということを伝えてきました。

そうでしょう、急須にしては注ぎ

口がない。蓋を開けると、確かに

プ―アール茶の濃い茶系のお茶が

たっぷりのたまわっていました。

取っ手を掴んで持つと、重いこと。

こんなに重い入れ物で、たっぷり

の重いお茶は初めて飲みました。

中国の極小飲茶はどこにいった

のでしょう。

なるほど、中国の湯呑はふつうに

大から小まであって、どうもあの

イメージは特別のようです。

そこで調べてみました:

飲み比べ5-1.jpg

<アマゾン:広告より:::
宜興市は中国江蘇省南部に位置する、

歴史と文化に名高い都市です。紫砂

の陶器が名産品であり、中国の「陶都」

と呼ばれています。

紫砂壺は国内外で名高い茶器となっ

ています。宜興紫陶は、中国の地理

的シンボル商品です。

黒泥龍紋紫砂急須という宜興陶土

急須は、明代の正徳時代から作ら

れた、中国で唯一の手作りの陶器

の手工芸品です。>

と、7000年の歴史を持つ伝統品

ということです。

その湯呑の小さいこと。口径は

4,8cm、底径は2,8cm、高さ

も3cmしかありません。

このおままごとの大きさの湯呑

4個と急須で1万円します。

茶葉も1急須に1種類をお勧めする、

とあるから電子レンジはOKでも、

手洗いで、また長く使うとお湯を

注いだだけでお茶の香りがする

「茶山」という物質が急須内に

発生して、茶人の雅な気分を

引き立てるというものらしい。


その伝統明媚なぐい呑みを作ろ

うとしたところが、ぐい呑み3種

の中に偶然、同じ口径・高さの

ものがありました。

飲み比べ1-1.jpg

普通の急須で大きさを比較できる

ようにした。件の茶碗は右下のもの。

左上から、重い湯呑・半円茶碗・

それよりうまいと感じたルリ掛け

ぐい呑み・白っぽいのが最少ぐい

呑み。(急須を除いて、自作)

飲み比べ2-1.jpg

遠近で手前のうす青(白とも)の

ぐい呑みがルリ(青)掛けの、奥の

ぐい呑みよりも大きく見えるが、

口径は同じ。で、背が低いのでそれ

だけ小さいです。


さて、これらを毎日、多いのは

毎晩ですが、それぞれ飲み比べ、

今はルリ掛けと最小ぐい呑みだけ

を並べて飲みっ比しています。

そこで結論ですが、個人的な実験な

ので70%の支持しか期待できない

し、それが適度な賛成票だと思って

います。

まず気づいたのは、習慣の影響の

大きさです。安定した縦長の湯呑で

飲んでいて、最小のぐい呑みを

試飲した時は一口で、するっと

お茶はなくなりました。ところが

です、ルリ掛けのぐい呑みで飲み

慣れてから、白のぐい呑みを飲むと、

一口半から二口に増えたのです。

続けていると、それが二口半か

ら三口に増えてしまいました。

気づかず、自然にちょびちょび

飲むようになったのですね。

そして、これが中国飲茶だと、

思い当たりました。中国の茶人

はお茶をどれだけうまく飲める

か、を試していたのでしょう、

大昔から。だからそのうちに

小さい茶器のほうがうまいこ

とに気づきました。

これは感覚が鋭角に尖るから、

鋭敏になり味覚の感度の容量

を増やしたのだろう、と推測

されます。

ぐい呑みだったものが、もっ

と小さくしたらどうだろう、と

限界まで手で持てて、それなり

のお茶の液体量がある器、それ

が伝統の茶器になったのだろう。

明らかに追及の結果だという

ことが伺える、と考えました。

これが中国ミニ茶碗の由来だろ

う、と。

お気づきでしょうか。これも手前

味噌になるのですが、この試論

を述べるために実験のぐい呑み

の小道具が、このために作られた

のではないこと。最初の手びねり

の一般的な湯呑は除いても、体験

のための試作が二つ、もうひとつ

最小のぐい呑みも余った粘土で

作れる大きさで作ったものなので、

それを作ろうとしたわけでは

なかったのです。ところがそれら

が揃うまでに感覚の気づきがあ

ったので新しくぐい呑みをいろ

いろ作るつもりでした。ところが

です、それを見越したかのよう

に以前のものが出来上がって、

結果、新しいぐい呑みを作らず

とも、それらで間に合ってしま

いました。実に楽しい偶然が

あったということです。

まるで、見よう見まねで作り

ながら、なんの意図もなく試作

を作りながら、今日を見通した

かのような器を作っていたとは、

驚きと言える?でしょうか、です

が、そうは言えません。

ぐい呑みは互いに似たようなもの

です。その二つが偶然役に立った

からといって必然な仕掛けが裏に

あったとは言い難いのです。

ただそうとも考えられる、そうい

う運命的なと思わせてくれる日常

というのは私にとって楽しい、そう

思わせてくれます。



風通しのよい、屋根ばかりの縁台

で沈みゆく夕陽を眺めながら、

お茶を殊更、小さな器でちびちび

飲む、ということに雅を見出した

茶人は日本にもいた気がします。

いや、今でもいるでしょう。そう

思うだけで、私ももうひとつ、

完成度の高いぐい呑みを作りたく

なってきましたから。

秋の夜長に備えてー。



2023年  秋
nice!(3)  コメント(0) 

風邪とブログの不具合報告 [報告]

風邪をひいてブログ更新が遅れまし

たが、さらに熱が下がってから立ち

上げると、サイトにつながらず、

パスワードは正しいのに、正しくないと。

それでパスワード更新でメールが来た

スマホですると、勝手に追加ブログに

なってしまいましたと、さ。

問い合わせをしたが、すぐには復帰しそう

もないのでともかく、その報告を新しく

ブログを立ち上げてしようということで:


風邪については::

「う~ん、長いような短いような、それ

が気持ちの推移と時間の推移の違い

だろう。

今回も風邪を引いて、熱も出て、その

始めからがなんとも予測しにくい展開

で、つまり今までになかったものだが、

症状も細かい処は初めての経験が多く、

これまでやってきた熱のでる風邪体験

に当て嵌まるものではなかった。

4ー5日ブログを書かないことは偶に

あることだが、最近は3日が通常だっ

た。

今もこれを書きながら重いものを感じ

る。寝てばかりだったので、さらに

眠気もある。

陶芸教室に出かけた時に異常は感じ

られなかった。渋沢について、バス

待ち時間が20分あった。15分歩いて

バス代を節約しようとした。最近40円

値上げしたので、7‐イレブンまで歩く

と元のバス代に戻るのだ。歩くつもり

だったからそれなりに元気だった。

が、歩いてからは体が重く、それから

は体に力が入らない。これは集中して

作業する状態ではないと、ドタキャン

のLINEを教室に送った。

帰って来てそうとう疲労しているの

だろうと思ったのだが、普通に回復し

てしまった。あの体の脱力感は何だっ

たのか。

(ふーっとため息。続かない)

この日ブログを書き、翌日に追加修正

をして投稿したが、その翌日も36度台

で、少し熱があるなくらい。ところが、

その翌日から後から体温が上がり始め

た。37度台だったので、大したことは

ないと思ったが、喉の痛みと咳がひど

く、コンコンではなく、ケーン、ケーン

と咳する度に体が前に折れる。喉の何

かが連動していた。

咳を止める調整をするが、それでも

出る咳はあった。これがきつい。頭に

響いて頭痛も引き起こした。

その晩から翌朝には38度台になった。

ピークは翌朝の38.3度で、腰の筋肉

に影響があって、立つのにもふらつく

ので、階段は非常に用心して降りた。

上る方が心配はなかった。


実質丸半日の38度台だったが、書くと

そんなもんだが、不意を突かれた感じ

でこれは今までのコロナ下や風邪の

期間よりも長く感じた。12時間が36

時間くらいに感じた。それだけ喉・

咳・頭痛・体の朦朧感は強かった。



明日にはほぼ回復してしまうから、

明日以降にこの事態の全体も書ける

と思う。まだ渦中だ。薬の所為だろ

う、眠くて仕方ない。今日はここま

でにして、また次の機会に譲ろう。」


::

まだ本調子ではないのでブログ訪問

は明日から、ということで。今は喉

の痛みとたまに咳くらい。

では2,3日後に。
nice!(7)  コメント(2) 

-|2023年12月 |2024年01月 ブログトップ