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無制限一本休憩(勝負?) [休憩]

2023年10月16日の記事になりま、。。。



最近はブログに集中していない

自分を思う。これまでは書くネタ

を隙間時間にでも考えるだけで

よかったが、それは無自覚な時間

になんとなくテーマごとに考えて

いたからだと、これも意識でき

ないが、なんとなく知っていた。

それも今では準備していないよう

なので、書く回数がこれまでより

どんどん減ってもおかしくない

くらいに思う。

思ったよりも長生きしそうだと

初めて思ったのも変だが、長生き

志向ではなく、逆に長生きしたく

ない志向だったので、先日にここ

に気づいたのは人生初めてで、変

な展開になった。

そうすると、あと10年は時間が

取れることになり、10年はひと仕事

の単位だと考えているから、まさに

最後のひと仕事が待っていると考え

得るということ。

それでほんとうに考え、悩んでいる

始末なのだ。  が、

人生最後は趣味に暮らそうよ、と

陶芸を始めたのに、ここに来て

あとひとつ何かものにする、という

のは逆戻りを意味する。

そして、なにかをものにするとかを

無くしてしまうのに心を砕いてきた

ので、この姿勢を崩すことはでき

ない。そうか、そうなのだ。

それでいいのだろう。今更なにか

もうひと仕事は必要ないのだ。

それこそ書く時に書いて、その他

もやれる時にやって、と目標とか

目的なしでやればいいことだ。

ただ現社会とはシステムを別にする

からその点でその関わり方には

それなりの工夫が要るだろう。

フリーなスタイルを続けつつ、社会

との整合性が取れる緩衝材という

人やものがいるのではないか。

それはともかく、もうあらまし

書くことは書き尽くした感がある

ので、一度休憩を取った方がいい

だろう。

無制限に、無時間で。


かく言っても、気まぐれが得意なの

で、どこでブログが復活するかは

わからない。隔日、二日おきという

ようにそこからまた持続するのか、

たまに一本書くという感じで、隔週

とか隔月に書くのかもわからない。


ネタはその気なれば尽きないものだ。

ネタの波長があるかどうか知らな

いが、僕との波長が合えば迷わず

書くだろう。

では、その時に。

(あさってくらいに書いても、僕なら

おかしくないので、それは知らない)

最近、疲れ方がおかしく、どう調子を

取ればいいのかもとためらうくらい、

なにがどう疲れたのかが、腑に落ち

ない。これが休憩の原因かもしれない。

とすると、これが解決したら、しれっ

と書いているようになるのかも、・・?
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AI 麻雀の攻略法 [麻雀]

ゲームの攻略法を書くのは初めてだ。

ゲームはスペースインベーダーの頃

からほぼしたことはなく、任天堂の

マリオがヒットしても無視していた。

というより関心そのものがなかった。

それは他の趣味に忙しかったという

ことではなく、結婚生活を維持する

のに、そのための会社生活・サラリー

マンで時間が取られていたからだ。

かと言って、それが暇でもゲーム

に手は出さなかっただろう。

無関心、それだけ。

しかし、麻雀は父が麻雀荘で雇われ

マスターをしていたのとその関係で

麻雀仲間が親戚も含めて、いたので、

30代まではよく誘われ、それで遊ん

でいた。もう40代以降は父も引退、

仲間も集まらなくなり、それで年

に一度くらいは麻雀をして暇つぶし

をしたいと思う時があり、それが

AI麻雀ゲームを買うきっかけ

だった。

それで時々ぼちぼちとひとりで

ゲームをしていたが、年に2,3度

だろうか、暇つぶしだった。それ

が盛んになったのはそれから20数

年後のコロナ流行の後半だった。

体の調子も悪く、暇を持て余したが、

旅行ができないので家で過ごすしか

ない、日本全国の退屈に僕も巻き込

まれたというわけだ。

麻雀ゲーム復活である。特に今年は

記録的真夏日の多い夏だったので、

気温との戦いは楽しいものではなく、

寝るも寝られず、クーラーとの調整

も戦いのようなもので、・・・・・

・・・とここらで近況解説はやめよう、

つまらない。


AI 麻雀ゲームのアマゾン通販のカス

タマー評価では相手がリーチ一発で

上がったりが多くて、とかの不満が

いくつか多くあった。そのとおりで、

なんで?というほぼ実際での麻雀

には見られない展開があって、これ

はあり得ないという理不尽さを感じ

ることが、ままある。

しかし、長い経験があるので、それ

ほど負けが込むこともなく、勝ち続

けるのでつまらなかった。

ところがゲームをする回数が増えた

せいだろう、5月の連休はかなり暇で

2週も体を休めなければならなかった。

その時に毎日ゲームをしたので、

かなりゲームの様相がその後変わり

始めた。

ともかく相手はAI の考え方ひとつ

で3人も相手がいるわけではない。

それを支配しているのはAI だ。

ゲーム開始から2荘目くらいから

急に相手の聴牌(テンパ)る速度

が急速になったのだ。

速い、早い。こちらの牌の面子が、

ふつう3面子で上がり一歩手前に

なるのだが、2面子もできない

段階で相手のリーチがかかり始める。

それが次の局(回)でも、その次

の局でも続くのだ。とても追いつ

かない。AI の支配速度が増すくら

い、それぞれの上がりレパートリー

が学習で内部記憶が高まるのだ。

準備の数が完璧になり、それが増え

て太刀打ちできない。オーバーヒー

ト状態でこれでは絶対に勝てない。

僕は初期のモードが初心者にも

上がれるモードだろうとわかるの

で、AIを冷やすためにコンピュー

タを再起動させた。これを2,3回

くり返すのが、AIが暴走した時

の対処法だ。

また、ゲームを起動させておいて

からいきなりAI麻雀の終了ボタン

を押して終了させ、というのを

くり返したり、その再起動との

組み合わせをくり返すと、AIは

おとなしくなる。

急にやさしい展開になり、欲しい

牌が嵌張(カンチャン)でも辺張

(ペンチャン)でも自模ってくる。

配牌も目を見張るほどよくなる。

これはAI のゲームを楽しませる

考え方の特徴で、初期モードに

戻るのだ。

なにしろこちらはベテランの経験

麻雀だから、その学習の意味が

最初はわからないし、知らない。

AI は僕の、相手がリーチをかけた

時にどう捨て牌するかを学習する。

すると、その読みを避けてリーチ

すれば、僕は計算通りに振り込ん

でくれるという寸法だ。これで

リーチは待ちが悪くてかけてこ

ないだろう、というプロ並みの

待ち方をする。

そうなると、相手は毎回リーチして

毎回僕に降らせる(負けさせる)と

いう芸当もできるようになる。

AI 学習、恐ろし、侮れず、となる。

そこでそういう自分だけ攻撃される

パターンになったら、すかさず

再起動をお勧めする次第、という

わけだ。

僕は経験から待ち筋や残りの牌から

計算して当たる確率の低い牌から

捨てる。ところが、このベテランが

いけないのだ。裏をかかれて当たる。

悔しいほどに当たる(負け)だろう。

さすがにそれに気づく。誰しもバカ

ではない。

そういう時は決してやらないことを

する。ドラという1翻、当たると追加

されて点数が高くなる牌をわざと出す

のだ。現実の人間同士の麻雀では

ぜったいにやらないことだ。すると、

当たらない、一度も。AIもバカな

もので一度読んだ僕の捨て牌の筋

を記憶しているので、ドラ牌を切る

など、それは予想外・想定外・計算

外なのだ。

この程度のプログラムなら、読めれ

ばこちらの勝ちになる。なので、

予想外の手を打って、勝ち続けた。

しかし、それも長く続けたので、

数か月立った今では少し中和され、

もっとAI の手が込み入ってきた

ようだ。高等な作戦で、一番最後

にひっくり返したり、逆に一番

最後に逆転勝ちさせてくれたりの、

読めない展開も披露している。



と、こんなところだが、この再起動

や強制終了の作戦にはリスク・欠点

がある。AI はコンピュータなので

脆弱なのだ。支配の乱れる、強制

終了などをくり返すと、記憶信号

にバグが発生するらしい。

局が流れて、全員の牌がオープン

され、相手の待ち牌が見えて驚く。

僕の捨て牌で当たっているのに、

見逃しているのだ。なぜ?

それだけでなく、僕がリーチをかけ

て自模っているのに上がりのロンの

ボタンが表示されずに上がれない、

ということがたまに起こる。

牌の記憶がバグで狂ったのだろう、

としか思えない。ゲームはそうなっ

ても大筋でできるがそのバグは

消えないだろうから、厳格にゲーム

の正しさを求めるなら、面白くない

だろう。

アンインストールして、また同じ

盤をインストールしても発生する

から、新しく買い直しが必要なのか、

新しい盤でも変わらないのか、わか

らない。自己出費で確かめられたい。

::ー以上。
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仏教の分岐点と日常の接点というもの [仏教と日常]

光があった。その前に書いておく

ことがある。 

欲をかくのは生きている証でも

あると思う。かき過ぎると体も

心も壊してしまうので元も子も

ない、とは昔から言われている

ので、断ることもないだろう。

それをかくのは、やはりかける

だけの余分な意欲が体を駆け巡る

時期なので、思春期は始まりなの

で、狂気にも思える。

そういう過渡期が過ぎても、僕ら

はここでこれを足そう、とかもう

少しとかなにかを余分に得ようと

する。それが余分だとか、本当に

は必要ない物だとは年齢を迎え

なければ悟ることはない。

そして、そういう悟りは自然の

ものだから早いうちに無理して

獲得しておいたほうがいい、

すべきだ、というものでもない。


この世の社会や自然の変幻無限を

感じ取れたのなら、悟りなど必要

ないのが生きることであり、それ

は明恵上人もそう言っていた。

そう、悟りは悟るべくするもので

あって、修行をして厳しい環境を

経験しなければならない、という

ものではなさそうなのだ。

それが必要だと思うくらい生きる

上で苦しみがあり、それなりの死

への動機がある人がすればいい

ものであり、強制したりして無理

にするものではないだろう。

それが特にいいことであるような

考えが広まっているのは、あまり

にわからないことのため、その

理想ばかりがふやけて大きくなっ

たからなのだ。

ブッダの当時のインドの大都市と

いわれる処に住んでいた人口は

微々たるものだった。東京の人口

は推定で1400万人と。ブッダの

頃の紀元前5,6世紀には主要都市

で推定10万人である(たった!)。

単純に東京の今日の140分の1の

人口なのだから、自然も社会も

なにもかも違う。そういう別世界

での「悟り」のなんたるか、とか

効用とか考える端緒も掴めないの

が当然なことなのだ。

それを大蔵経(中国の仏教経典の

総称。日本で漢訳も含め編纂した

ものは全88巻)などの大部の

書物を勉学してもその教えの理

を覚えるにはいいだろうが、悟り

のなんたるかには踏み込めなく

て、これ当たり前の話なのだ。

深遠だからではない、初めから

遠くて、わかりようがない。



当時と言っても紀元0年に近づい

てからだが、バラモン教が復興

して、バラモン法典の最高と言わ

れる「マヌ法典」が編纂された。

仏教は未だブッダの教えを記憶

して年に一度か皆で結集して

誦経していたが、さすがに焦り

があったのかもしれない。

優秀な賢人たちが集まって、

または個々人かも、ブッダを

乗り越えて仏教を悟りから衆勢

を救う有難い教えにしようでは

ないかぐらいにまとまったか、

考えたのだろう。

大乗仏教と名付けられたのも、

初期の仏教を小乗と卑下して

命名したのもそういう処から

だろう。で、仏教は廃れた。

本義ではなくて教科書として

庶民的に多くの神様を取り入れ、

概念処理され、読みやすく

思念で理解できるものになった。



紀元後からはブッダの意識から

も教えは離れて行ったので、

ますます悟りはわかりにくく、

遠くなっていった。ただ崇拝の

念から理想化が進んで、人間の

最高の境地とか神格化された

のだ。一種の流行で多くのこと

が歴史ではそういう道を辿った。

そういうカスの話は終わろう。



洗面所で洗顔していると、玄関

の框(かまち)に光が入った。

光線が見事に射して、「光が

入った」と思った。もとより

玄関が開いているはずもない。

それどころか、洗面所からは

壁一枚あるから、框も見えない。

何が起こったのか。確たる事実

が起こったのではない。

光が入ったと思った、それだけだ。

それだけだが、その光が光である

のが如実にわかった。

しいて言えば黄色い光線だった。

洗顔を終えると、迷わず玄関から

外へ出た。気持ちよかった。

外気の爽やかさ。いつもと同じ

なのだが、いつもと違った。

わかりやすく脚色すると、見る

ものすべてに意味があると思えた。

ものの語りかけが聴こえるようだ、

というのは脚色のし過ぎだろう。

だが、僕の心には確かに響いて

いた。光はあった。



遅咲きなのか、カキツバタもあっ

た。4m道路の灰色もあった。

駐車場には砂利があった。乗用車

もレンタル倉庫もあった。変わら

ない住宅地の光景があるだけだっ

たが、なぜか懐かしいのだった。

そう思い出してみると、あれは

慈しむような気持だったろう。

それは今のこれからであり、これ

までだった名残りでもあった。

だから、“すべてがひとつ“という

おかしな矛盾したことが言えて

しまうのだろう。それはすべてが

ひとつにまとまることではない。

ひとつの中にすべてがあるのでも

ない。

僕らは「ここ」に、「ここ」のそこ

にある。そこから始めなくては何も

始まらず、数千年でもこれまでの

ように同じことをくり返す。現に

今もそうして来ている。

お寺の坊さんみたいな話になって

来た。口で喋るのは難しい。

手品はいい。種はこうだと明か

せば、誰でもそうだったのか、

と納得して何が不思議だったの

かも忘れてしまう。平和だ。

理屈を精確にしようという作業

は誰がやっても剣呑を生む。



そう言えば、マーシャルの

「経済学原理」にも、(「雇用・

利子および貨幣の一般理論」の

ケインズが批判したが、経済学

理論それを継承もしているという)

その初版への序文にも連続性の

原理が因果の説明になり得るし、

ユヴァル・ノア・ハラリの

「21Lessons」にも「はじめに」

で、宗教や政治や人種への偏見、

それらに伴う特権・制度による

抑圧に無自覚に加担していること

を暴くことが重要視されている

こと、しかし、それは現実的な

企てなのかと疑問を呈している。

::

「私の視野をはるかに超える世界、

すっかり人間の手に負えなくなっ

ている世界、あらゆる神やイデオ

ロギーに疑いの目を向ける世界で、

確固とした倫理的基盤をどうして

見つけられるだろう?」::

とまさに初めに書いている。

倫理的基盤とは人間らしい基礎と

なるもののことだろう。

それなら、紀元前5,6世紀から

ブッダも孔子もソクラテスも試し

てきたではないか。どうして僕ら

はそれが必要だと考えるのだろう

か。それはそう考えることが、これ

までを踏襲することなのではない

だろうか。だとしたら、くり返し

になっているだけだろう。


この手の話に終わりはないから、

適当に切り上げる他ない。これ

までの流れの中からヒントが

見つけられれば幸いである。

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秋の人類は夜長の夢を見る [夜長]

過去は変えられない、と教わった。

そうでなくても、起こったことは

戻らないと、映画でも小説でも

ほぼどこでも聞いたことのある

台詞だ。

過去はおかしなもので、人が皆

逆の方向に後戻りで歩いたり、

走ったりするのが過去へ、だと

思っている。(映画「テネット」

から)

その話は飽きただろう。僕も飽き

た。時間があるかないかの話に

なるからだ。

話すことはこの世のことならいくら

でもあるのに、それがすべて因果か

ら流れ出て、小さい紆余曲折、大き

い紆余曲折の時間帯やその期間が

異なるだけでその絡まり方が無限大

でその流れを任意に区切った処が

始まりなのだが、実際には僕らの目

があるので、その見方から始まりと

終わりがあるように見える、そこを

始まり(終わり)とする。

それにしても流れはあらゆる秩序を

含むものだから、形は一定のパターン

があるように見えても、全体はただ

のデタラメ・無秩序なのは仕方ない。


それらしさがいつの時代も、紀元後

百年くらいから今日の社会まで漂っ

ている。

流行と同じように姿・形は変えな

がらもその中心や本質たるものは

変わらず、くり返すように見える。

だから、くり返さないようで、その

大きなパターンはくり返し、それ

も少しずつや、もしくは大きく

パターンも変えて。 

西洋と東洋は大きく違う思想の道を

分かれて進んだのが見える。

ージョン・レノンは東洋と西洋は

ひとつになるという歌の歌詞があっ

たが、新しい中国や東洋思想にかぶ

れただけで、Imajineのような強く

打ち出せる自分の芯の心ではなかった。

彼はわからない、とも言ったがその

方が正しかったようだ。


紀元前1000年前か、その頃に心が誕生

したようだ。それは動物よりも変化が

強かった画期的な自我の誕生に思える。

つまり、人間らしさの誕生である。

それから5百年もして、同時期に

ブッダその他インド思想の諸子百家が

現れ、中国大陸には孔子と中国の諸子

百家が現れ、少し遅れてソクラテス

が登場して、それぞれに悟りや天・

君子や無知の真理を説いた。

ソクラテスを除いて、彼らの言葉は

概念だけで語ったものではないので、

それは人生経験という人間関係や

社会経験をこなすことが必要だった。

それらは仏教や儒教、ソクラテスの

問答に知恵として込められていると

いうが、人生や人間の機微を解くの

は概念の結果となったもの、すなわ

ち知識ではないので、語れないもの

としての定評がある。

例えば、ブッダだが、彼は悟りを

非常に厳しい環境下に自分の身を

置いて、修行してその結果、悟りを

得た。ところが、彼自身それが誰に

ついても適した方法ではないこと

に気づき、禁じてしまう。

彼が悟った方法を自ら禁じなくて

はならなくなったのは皮肉なことで

ある。そして、ゆっくりとそれほ

ど無理なく修行法を教えたので

あろう。

だが、それは教えを曲げることで

はない。弟子がブッダの姿を写し

取り、それ(仏像)を拝みたいと

申し出た時にブッダはそれを禁じた。

あまりにしつこくか、大勢に言わ

れたか、面倒で足の裏でも拝めば

いい、と言ったとかどこかの本に

書いてあったが、それが仏教の

初期に仏足跡(足の裏の彫刻)が

残っている証拠だと。その経緯の

真意はよくわからないが、彼が仏

を刻んでそれを拝むな、と言った

のには相当の理由があるのはわかっ

ている。それは偶像崇拝を嫌った

からだろう。

それは謙遜とかではなく、自己を

信じるには自己を突破して失くさ

なくてはならない仏教独自の逆説

が成り立っていたからだろう。

神とか何かに拠って自分があるの

ではなく、自己によって自分がある

という立場だったからであり、それ

を矛盾なく考えることは不可能で

そうではなく納得することに

悟りの感覚的な技術があった。

知識や概念からの技術ではない

のでそう言ってしまってもいけ

ないのかもしれない。

僕は彼の時代をコントロールす

る意識が人間としてどれくらい

続くのか計算してみたが、彼の

掟を破り、悟りから衆勢を救う

という傲慢な面もあるその思想

潮流に舵を切ったのが、ブッダ

の死後3,400年後のことだった

ので、もう悟る者も出なくなった

その頃誕生した大乗思想の登場の

ことだ。(法華経が有名)

つまり、悟りは大乗(衆勢救済)と

いうブッダの悟りのカスになった

のだが、そのお陰で概念解釈ができ

るようになって、全世界に拡散する

ようになった。教科書化したのだ。

儒教はすぐに絶滅しかけたが、やは

り後続の賢人がそれぞれ記録を集め

解釈を施して、どれが孔子の言葉か

後人の加筆か判断困難で、確実性

が弱くなってしまったが、(特に

論語)そのお陰で思想として怪しい

ながらも、日本の幕末では武士の

教科書的な扱いを受けた(朱子学)。

西郷隆盛も勉学して「敬天愛人」

の標語を自分なりに掲げてか、

死後は神様として西郷神社に祭ら

れた。

ソクラテスは人との問答でいかに

我々は無知であるかを自他ともに

知らしめるために行ったが、若者

に大人をからかうのにマネされ、

それを政治利用され、中傷されて

毒を飲む刑を申し渡された。彼は

それを神との契約として考えて

いたので、逃亡を説得する友人

達の前で、体のどこが冷たくなっ

てゆくかと毒の回りの実況中継を

しながら息絶えた。プラトンは

それに自分の思想を交えて、賢人

政治などの理想を語ったようだ。


彼らの直接な心を扱うための、最初

の思想の試みはそれで出尽くして

もいたが、それだけでは終わらな

いように見えた時代の背景があり、

それが多くの解釈も求めて、多く

のそれらの亜流が流れ出た。

亜流は新しいと解されて歓迎され

たが、それは流行であり、時代の

好みを加えたに過ぎない。人々の

表層の経験に新しい解釈を与えた

ものだ。


そういう複雑に見え、細少化する

哲学が日常から離れて役に立つのか

疑問に思われ、やがて廃れて、その

間にも科学が隆興したのは自然の

なせる技だ。

人生は個人には膨大な数をこなして

結果を残せるには時間が短すぎる。

そして、結果は思想家の独自な個性

に振り回されている。その小さな点

を突き詰めてその本質らしさから

体系や真理のまとまりらしさを求め

ても、針ほどの小さな点では数が

知れているのだ。

例えば、無意識の発見と言われる

精神分析心理学のフロイトとユング

の学説のあまりな相違にそれが現れ

てもいる。性のリピドーとオカルト

には開きがあり過ぎる。彼らは無限

の中から自己追及の突き当たった

一部を掴もうとしたのだろう。

それをまとめようとして、どうにも

おかしなことになったと、そう見える。

そこへ行くと科学は多くの研究者が

同じテーマで実験をくり返せるので、

一度の人生とは比較にならないほど

の進歩・発展が期待できた。

そして、概念の代表のひとつである

数学を使って表せたので、それは

現実とつなげる時に時間はかかるし

実際上の困難はあるとはいえ、一応

の現実化に成功して大きな成果を

見せた。ただ因果はすべてにおいて

の律なので例外がない。ニュートン

の万有引力説も200年くらいですべて

の物理が説明できないことがわかった。

それどころか、現実に近い理論が

現れると、それは膨大で長期の実験

で量子力学など確かめられたが、

粒子の動きは常識な頭では理解でき

ないものになった。高温だったか、

特別な状態になるとその粒子は

同時に二か所で存在するようになる。

それが宇宙の果てにもなる超長距離

でも変らないから、重力と時間など

無視した行為だった。アインシュタ

インはそんなことがあり得るはずが

ない、と反対したが、実験はそれを

確率で裏づけ続けている。もはや

証明といっていいほどの数に上って

いる。


僕らは心の探求から始まって、途中

で神に頼らなくても「もの」を加工

して文明を築くことを覚えて、急速に

心の探求からは遠のいてしまった。

物理科学・最先端の天文物理は宇宙

にここん処、従来の理論が裏切られ

続け、まったく正体のわからない

ダークマターなる宇宙暗黒物質を

認める方向で研究・思索を続ける。

昔のエーテル説は消えたが、似た

ような物質を想定せざるを得なく

なっている。

ブッダがナノ技術にも使われるとん

でもない天文学的数値は作り出した

らしいが、ネット社会は予想もしな

かったように僕らは僕らの都合だけ

でわからないまま営為活動を行って

いる。

それらは今までの知識と技術の恩恵

で農業・水産・政治・経済など衣

食住を満たすための営為である。

知識は本にある。その他の記憶媒体

に詰め込まれている。だが、誰も

その人間社会全体の方向性には目

を向けていない。

それを様々な方面から特殊な専門

分野からで警告を発することはある

が、それは時間の経過にもみ消され

てしまう事案でしかない。

僕らの錯覚はこれまでに確かな知恵

と工夫で文明文化を築いて、知識

と技術で地球をコントロールして

きたので、これからの困難も乗り

切れるはずだし、そうするしか方法

はないだろう、と考え、それを誰も

がそう考え、信じ切っている点だ。


植物の細胞には例えば、根が切ら

れると、その側の細胞が根に変化

するという。そういう不足した

ものへ変身する要素が12種類

くらい細胞内に用意されている、

という。これは動物にも遺伝子

などを見ると似たような要素が

あり、僕らヒトゲノムの数の

多さと複雑さと、またまだ現役

で使われていない遺伝子の束が

余っているのを見ると同様に

そうではないかと想像できる。

・・・・・・・・・・・・・


僕はそこから有効に未来を補填

(ほてん=不足を補う)する考え

が導けない。いくつか説などあ

るからそれを演繹してみるのだが、

あまりに選択肢が多い現実を見る

と、またいつもの”出来事が起きて

から人は考えるのだろう”に落ち

着いてしまう。

個人ではもがきながらもその人

の道はそれなりに道筋をつけられ

るものだが、それは自分という

設計図に照らしてその反省からだ

からできるのだろうが、人類とか

国際事情とかになると、危なかっ

しく思える。

そして、その思惑が自分の知性

自身に拠って起こされる不安から

来ているのだと知ると、考えは

止まる。

危ないのは、自分の考え方が偏向

し始めたからだ。そして、それは

誰でも避けえないと思うと、公正

な論議をすることが、それを公正

さに限定しても別々な人間である

僕らという前提を思うと、いかに

難しいかに考えが及ぶが、また

そこからそれは試してみてから

反省することだから、初めから

考えるべきではないとも思う。

そうして、思考は初めに戻り、

中断してしまう。

僕らはそこで求められるのは、

おかしな考えだが、超能力じみた

感覚の必要性だと。

例えば、未来を見るには、それは

短時間の近未来だろうが、過去と

未来に関して正しい感覚が必要で

ある気がする。

西丸震哉はトラに(インドで?)

出会う、少なくとも5m手前に

姿を見る前に直感的に気づかなけ

れば命は危ない、そういう密林

などの場所に入るにはそれくらい

でないと入ってはいけない、と

超能力志向のようなことを書いて

いた。その感覚が嵩じて鋭敏に

なると、その手の直近の未来が

見れそうである。

これは確実の問題ではなく、そう

いう範囲の感覚がないと、僕らは

危険を察知できないということで、

僕らはそういう話を昔から知って

いる。

しかしながら、それを察知する

感覚はいい加減な面もあり、100%

ではないだろう。それはいつまで

も人間の微妙な感性に任されてし

まう不確実性にとどまるものだと

いう感じはぬぐいきれないのである。

そうであるから、僕らはほとんど

の微妙な曲がり角を曲がり切れ

ないのだろう。

天才の遺産というものはその人類

の欠陥をどう発見してその情報を

繋いでゆくかに見える。道はいく

つかあるから、それに適した人が

自分で見つけるしかないのかも

しれない。

無責任な言い方だが、これまでの

歴史でそういうものが紙の上に

書けるような知識の形で示された

ことはないように思う。それなら

今でもそれが教科書として何千年

も、現在も有効に使えたはずだから。


この世も、また意識や宇宙などを

含んだ世界というものは人間に

わかりやすい直截な言葉にはなら

ない。

それを伝えたり、教育で取り上げ

るのは、その人次第、マンツー

マンなのだろう。

ホモサピエンスと何万年も?共存

していたネアンデルタール人さえ

絶滅してしまった。人類の種は

化石からだとこれまでに26種類

くらい生まれたが、残ったのは

現人類の1種だけだ。これが幸運

なのか、必然だったのか、誰も知る

由もないだろう。


もう3時か。秋の夜長も長過ぎれ

ば、     10. 7 

長くなったので、続きがあるか

わからないが、またにしよう。

          10. 8
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その疲れは独自のものか知る必要がある 賛成?反対? [疲れ]

壁に張った日本地図(近畿地方)

を見ているとその森や林、その

沿道、山並みが想像されて、旅行

に出かけたいと思う。それは僕の

健康かもしれない。

神経障害のことを詳しく知ってい

るのではないが、自分の心の事情

はよく知っている。

読書計画を立てた。

今度の読書計画は無理のない点で

よくできたと思うので、挫折は

ないだろうと思うのだが、現実は

ストレスに晒される。今回は身に

染みてわかる気がした。

まず根底に、過去に埋没したくな

いということがある。

例えば、こうすれば成功、資金や

金儲けができる、その秘密を大公開

というのが一番危ない。株やその

罫線でという投資したりする方法は

ひと昔前はそういう手の本は書店に

並んでいた。私はこうして株で稼い

だというものだが、こうして本に

なるのは最後の手段だからだ。

それで儲かるなら人に教えるはず

もない。自分でそれを続けている

に決まっているからだ。そんな

方法を知りながら本にして人に

教えるお人好しは投資の世界には

一人とて絶対に居ない。

それが本になるのはその方法では

もう大して勝つ見込みがなくなっ

て来たからだ。

知識は最後に排出されるものなの

で、その人のカスとして書かれる

のだ。それはもう役目を終えて

死んだので知識に加工されたのだ。

どこかへ行って紀行文などが書かれ

るが、ほとんどが観光案内みたい

なもので旅の醍醐味というのは

その人が味わったものでしかない。

また、それをうまく書ける人もい

るが、それは文章を読む楽しみに

費やされる。違うのだ、実際の

楽しみはその人だけがわかって

いるもので、どんなにうまい説明

や表現でもその驚きや感動はほぼ

伝わらないのだ。それはなぜか、

現地に居ないからだ。現地まで

自分の体を働かせて,そこまで

行ったのではないからだ。

その時の空の明るさ、空気の爽や

かな感触、水の冷たさ、いろんな

植物や生物との邂逅や感動は、例え

ば、猫や犬は飼ってみないと、その

苦労も可愛さもわからないよね、と

言うのと同じだ。

現地でも猫を飼うのでもそれまでの

経過をすっぽかして、それを味わえ

ると思うのは、空想的な頭の勘違い

で、何を読んでもいいが、それで

済むと思うのは何かを見落として

いる。

観光地へ行って観光してきたのは

絵葉書を辿ったのに似ていて、

多少その現地の空気などの経験が

あってそれはガイドブックを読ん

だだけよりもマシだという話だ。

それはガイドブックに載っている

ものを観てきたのだから、本の

画像や写真を比較したことだ。

それは本当は何だったのか、と

いうのは違う。

例えば、僕は北アルプスの万年雪

の氷でかき氷を作って山で食べたら

うまいだろうに、とそのシロップを

持参で雪渓まで夏に登ったことが

ある。まだ登山の素人だった頃で

雪渓にたどり着いてすぐにわかった

のはかき氷などとんでもないという

話だった。

寒いのである。標高が高いので空気

の薄さもさることながら、雪渓の雪

が残るぐらいだから、涼しく、やや

寒い。氷などは体が冷えてしまって

食べたい気はなくなっていた。あれ

は夏の下界(地上)だから言えた

ことだったのだ。

歴史に興味のある人はそれを見に

行く。ほとんどそこへ行くことに

夢を描いている。すると、見たい

ものが見えただけではない、何か

を見る時もある。その建築などの

物に食い入って見るから、見える

物が違って見える。

なぜかわからないが、僕らの新

発見というのはそういう素直に

ものを見つめてしまう人から

発見されている。

それは学術的な発見の話でもある

が、それだけではない日常の経験

の話でもある。



読書の話だった。

休憩を一日入れてたったの4日だっ

たが、もうガタが来た。初めは

慣れないからだろう。が、もう

ストレスで予定とは別の本を読み

始めたり、4日目には読めずに、

漫画を見始めた。

数十年も読めなかったものが、

すぐに読み始められることは

ないようだ。と言っても、始めた

ばかりなのでもう少し慣れるまで

続けよう。

しかし、この拒否反応はなんだろう?

発熱を感じ、測るが36,1℃しか

ないので平熱だ、が、発熱手前の

微熱による熱っぽさがある。これは

無理をするなという、いつもの体の

警告で無視すると、これまでえらい

目に会って来た。なので、未知の

調整がまた始まった。こうなったら

どうするか、という手順はこれまで

の経験からいくつも重ねて知識に

なっているはずなのだが、実際は

経験の明らかにまとめられるパター

ンの数は少ない。

風邪を引くてそれを調整にする例外

じみた本を読んだことがあるが、

体質が違うのだな、というのが結論

で自分の体は自分で調節しなければ

ならない。僕はろくでもない医者の

誤診につきあわされた経験が多いの

で特にそう感じるのだろう。

読書をすると知的好奇心が眼を覚ま

すといったような心の変化を感じる

が、それが直ちに今はストレスに

つながっている。これが僕の場合

体質的な首・肩の凝りにとどまらず

精神的な疲れ(主に狭くなる考えや

固執する気持ち)を引き起こす。

その集中が無理を気にしさせなく

するからだろう。

知性は僕にとって、両刃の剣なのだ。

この仕組みがわかれば自分でも神経

の統御ができるのかもしれない。

:(これ、以前にも書いた気がする)



そういうヒントは多い。そしてまた

毎日、多い。

誰か医学知識のある研究者に伝え

れば、そこからの長期になるだろ

うが、研究成果が出れば、ノーベ

ル賞も夢ではない、という妄想も

長きにわたるが、止むことはない。



そこに人がいる。だからといって

それが人間ではないとは誰も思わ

ない(漫画「寄生獣」からの思い

つき)。作者の寄生獣への同情へ

の考え方・気持ちがよくわかる。

・・・同じ生き物か、・・。
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枯葉の一枚はYESという遊びをしながら [公園]

グー・チョキ・パーと書いて

みても、書けるもんかと開き

直ってみるが、いつもと同じ

雰囲気を壊してみたいだけな

のだ。

そう、今日は題材があった。

座間図書館に寄って、ついでに

隣りの谷戸山公園の小さな広場

で坐ってみたのだ。

パックのコーヒー牛乳を買った

ので、落ち着いた場所で飲もうと。

ここは図書館からの階段を下ると

公園に入った、すぐの場所で、

10人くらいなら子供の教室や集合

をかけられる。公園の全体は大き

く、すり鉢状になっていて、一周で

きる林道がある。そのいくつもの

分かれ道から下に降りてゆくと公園

の底に着くのだが、そこには池が

あり、公園事務所などがあり、自動

販売機もある。ベンチやテーブル

も一番揃っている場所なので、人

も集まっている。

そこへは行かない。近場でコーヒー

牛乳を飲んだら帰るつもりだ。

そうしたら、秋の劇場が始まった。

5m離れた沿道に雪のように落葉

が降り出したのだ。強い風が吹い

たのだろう、小さな黄色の雪が

バラバラと舞い落ちて来る。

長くは続かない、止んでしまう。

また来るか、と少し待ってみる。

すると、今度は呼応したかのよう

に頭の上から焦げ茶の枯葉がバラ

バラと降って来た。

その呼応で思い出したのは、アフ

リカの話だ。アフリカの古老が

子供を連れて葉のたわわな下に

行って、少し待ってごらん、と木

に向かって祈るような仕草をする、

と、木は葉を一枚落として、古老

はそれを拾うと、子供に木が挨拶

して落としてくれたのだと言った、

という話だ。

信じがたいが、柿の木からは20・

30代は信号を感じて頭が痺れたり

したので、樹木に何かあるのは信じ

ている。それで遊びをしてみよう

思った。

YESの答えの時は葉を一枚落とす

こと、と背後の木に言ったのだ。

(そのつもり)

なにか簡単な質問をした。それに

答えるかのように一枚枯葉が落ちた。

しまった、質問が簡単すぎた、落ち

たのは偶然である気がした。

すると、沿道をオレンジのTシャツ

を着た若い男の知的障害者が来た。

声を出してうなりながら来るので

それがわかる。唸り声は人に出会っ

ても変わらず続けるから、障害者だ。

沿道と僕の坐っている広場の間には

植え込みのような数本の細い木が

ある海なら洲のような処があり、

彼はそれを回るように、沿道から

広場に少し入って、沿道に沿って

歩いていたが、そのまま通り過ぎ

なかった。その植え込みを回り込ん

で沿道を引き返すように歩いたのだ。

気まぐれだな、これが障害者の特徴

だろうかと眺めていると、もっと

気まぐれなのか、引き返さず、また

植え込みを回って、つまり一周して

広場に戻り歩いてゆく。

呆れたもんだ、植え込みをグルグル

回るつもりなのか、と。

気にしても仕方ない、が、それを

質問した。彼はもう一回りして

今度は沿道を先へ歩いてゆくだ

ろう、と。すると、葉がまた落ち

てきた。が、3枚落ちてきた。

これは想定外だ。

先ほどから沿道から歩いてきた

別の高齢者が広場に入って来て

僕から3mほど離れたところで

足を片足ずつ上げたり下ろした

り、片腕を上にあげてそれをもう

片腕で支えながら、体を捻った

りして筋肉運動を始めた。

なんでこんな人前でするのか、

理解に苦しんでいると、そこへ

もう一人高齢者が来て、沿道に

すぐ近いベンチに腰掛けた。

僕は少し驚く。

というのは、そこは初めに僕が

坐ろうとしたベンチだからだ。

切断された太い木の幹が2本で

支えていたのだが、それが腐り

始めていてグラグラするのだ。

折れれば転倒するので、奥の

ベンチに移動したのだから。

察するに、その老人は深く

腰掛けていないのだろう。

少しもベンチが揺れた様子は

なかったから。中腰なのだろ

うか、それともよほど体重が

軽いのか、そうしてふと思った。

(これは僕らがよくする意味づけ

で僕らはこの操作で自分を正しい

と信じるようだ)

これらの劇中前後して枯葉は3枚

落ちてきた。だから単純に考え

てもいいのではないか。

一枚はYES だが、2枚はNO、だか

ら3枚はそれ以外だ。それはどう

いう意味か。yesでもないし、no

でもないか、yesでもあり、noで

もある、という。またはyesとno

が同時に起きるか、交互に起きる

とか。

この場合、障害者も老人二人も予想

外なので落ち葉の3枚というのは正解

ではないか、と。

(もちろん、他にも解釈があり、人

はそこに自分の都合にこじつける

知的な癖がある。誰の脳にもある)

それは勝手な解釈だとは知っている

ので、正しいでいいのか、そう聞い

てみたが葉は落ちない。やはり、

独自の解釈なので僕が間違ってい

るのだろう、とも尋ねてみた。

無音。枯葉は音沙汰なし。なるほど

「音沙汰なし」というのはこういう

ことを語源にしているのだろうな、

と暇なので納得した。

葉も落ちない、と思った瞬間、右手

のやや後方で枯れ葉の落ちる音が

はっきり聞こえた。・・そうか

やはり自分が間違っていたか、いや

そんなに当たるなんておかしいだろ、

と喧嘩を売る、誰に?

偶然とは便利だ。どんな状況でも

偶然だと言えば、すべてそれでまと

まってしまう。逃げ勝ちみたいだが

・・。



そうしていると、静かにひとりコー

ヒー牛乳を飲むという趣旨が破ら

れて、気づまりになって来た。

僕の感性からすると次のような推測

ができた::

まず、知的障害者の若いのは、一度

こちらを見ていた。僕の気を感じて

いたのだろう。というのも、知的

障害者の中には感受性が鋭い者が

多く、2年ほど管理人をして世話

をしたことがあるので、僕もよく

わかるのである。彼はそういう目

に見えないやり取りを一人でして

いたのではないか。

老人連中は孤独から同じような

老人(僕)がコーヒー牛乳を飲んで

いるのに寂しさからなんとなく

人恋しさで寄って来たのではない

か、と。

こうして書いていて、もっと強烈

な発見をした。枯葉は3枚落ちた。

そう言えば、集まった人数も障害

者、老人二人で計3人だった。

これが木の予測したことならば、

驚くべき予知能力ではないか!

(!マーク)3つでもいいくらい。

他の見方もできる。予知能力は

なくても、僕の考えを読んで

その枚数を落とした。僕は近々の

未来を過去に見たりする。

なにはともあれ、・・・という、

遊びの話だ、悪しからず、

(というがすべて事実なので安心?

を)と、この「悪し」は古語で、

古語表現が現代でも使われている

例だとのこと。



帰る間際、秋の枯葉の小雪の降る

・・・。黄色い粉雪だった。

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野良犬のように生きてなんぼなのかとは思わないが [貧困]

今朝は今朝でなくなった。昼でも

なくなった。実際、起きたのは、

(起床だが)夕方だった。

午後4時前に起きたので、夕べ深夜

a.m.3から布団に居たので、12時

間以上布団にいたのだが、睡眠は

10時間くらいだろうか、あとは

うとうとと半睡で目覚めていた。

そうなると、よく寝たのは、近々

の7時から15時の6時間ちょいだっ

たろう。

寝足りないのは、なにかしら不快感

が頭に残る。が、こうして寝すぎると、

頭にぼんやり感が残る。それは蓄積

疲労が体に現れたからで、そのだるさ

は疲れの名残りなのだ。

しかし、出たので楽になるのは知っ

ているので、だるいながらも爽快感

がある。

なので、ただ二度寝、三度寝で寝過

ごして、一日頭が重くて不快なのと

は一線を画している、心は反対に

爽快なのだから。これは心が後の

爽快を予感してのもので、期待感

なのだろう。

疲労度をチェックするという日頃

の活動で疲労が考えられる項目を

ピックアップしてそれに時間や

数量で数字を与えて、明日やその

後日の影響も数字で決めて、毎日

チェックすることで蓄積疲労も

あぶり出そうという疲労度の表

を編み出して、もう10数年続けて

いるが、蓄積疲労は日頃感じない

ものなので、どうしても自覚でき

ない。面白いことをしていると

集中が過ぎて夜明けまで、という

ことが当たり前で、徹夜こそ最近

月間で数えるくらい少なくなったが、

疲労はそれだけではないので、特に

蓄積する質は困りものだ。

焦りは禁物、という常套語があるが、

それを克服しただろう、と思えるの

はごく最近のことで、以前は出かけ

るにも二つ以上の用件がなければ、

ひとつではよほど重要でなければ

出かけなかった。それと同様に

多くのことを一遍にしようという

気持ちの焦りがなかなか抜けず、

行き過ぎることが多かった。

つまり、自分に対してはブレーキを

かける必要があったが、そのタイ

ミングが測れず、発熱してから、

3日も4日も休養を余儀なくされる

事態に追い込まれた。持病で38・

39度の高熱を発すると、病院通い

で1週間、その後の安静で3日、

その10日間は無為に費やされた。

それは30代の頃から始まり、

今日までに7回を数えた。反省する

ハズだ。


疲労度表を作成して、毎日チェック

をしても7,8年はそんな行き過ぎの

状態が続いたのである。不思議にも、

だんだん役に立つようになったが、

それでも年々体力などが落ちるよう

になったので、これからも蓄積疲労

の予想は困難なままだろう。

なので、夕方まで寝てしまって、ああ

疲れが取れてよかったと思う、ところ

が日が短くなって活動に不都合になる

起床はこれからも続くだろう。

いつ寝ようと睡眠は自由だ。しかし、

数十万年も主に夜、睡眠で疲労回復し

てきた人類の末裔であるから、寝ない

でいいという自由はない。

特に、ずいぶん以前から思うのだが、

深い睡眠にはそこになにか幸福の芯

か、その一部か端っこか知らないが、

そういうものがありそうで、その深い

睡眠をしたと思った時は、自然にそう

感じるので、そこまで寝ないと起きて

も、8時間とかではなく、不快に感じ

るようだ(多い)。

そう思い出すと、睡眠はただの身体の

疲労、心の内面心理の解放だけでは

ない、なにか生命に直接関わった謎

がありそうだ。


人的にわかっているのは、体だが、

神経を休めるのには必須だろう、と

いうこと。腱鞘炎になって、すぐ

治ったが、時々手を使いすぎると出る。

初め驚いたのは、運転している時に

一度だけだが、左手の人差し指から

親指を通して手首10cmくらいまで

金属の棒が通って、手が動かせない

と感じた時だ。なにが挟まっている

のだろうと見たが、左手はそのまま

通常の左手だった。腱鞘炎だと

わかった。ちょうど陶芸教室の帰り

で、粘土をこねると疲労するのだ。

なので、たまに小刻みに人差し指が

震えることがある。そこで体の

無自覚な緊張を解くべく、リラッ

クスの体操をすると、少し休めば

回復する。よく寝た日はたぶん、

その経験はしていないと思う。



僕は健康オタクだからこれがふつう

だが、自分の体は自分でチェック

するのが早道だと思う。

問題はチェックする気持ちを常に

忘れる度に心に塗り替えるのを

続けることだ。忘れたっていいん

だ、その気持ちを持ち直すのさえ、

続ければ。そこがポイント。

するだけでたとえ結果が伴わなく

ても十分、合格だ。

それは生命の原理の一部なのだろう。

僕らはいつ死んでも自由だ。でも、

それは生きるのを忘れた行為だ。

これだけは先延ばしでいい。長くて

10年以内、早ければ明日か、1年後

に必ず事態は変わる。これは間違い

ない。これほど間違いのないものは

ない。因果の保証付きだ。

だから、まず今日を生きてみる、そし

て明日もまたその日という「今日」

を生きてみる。肝心なのは生きようと

することだ。

これだけは先延ばしで正解になる。

僕は大鬱になった時、前に書いたが、

ほんとうに自分はそれから逃れられ

るほど(自分で思っていたようには)

強い人間ではないことにショックだっ

た。自分で自分が自殺する可能性の

ある人間とは信じていなかったが、

それが誤りであるのが証明されて

しまった。わかったつもりの思い

込みだった。僕はその時の対処だ

が、死ぬ気持ちのままそれに決し

て触れずに、ただ時の過ぎるのを

待った。

それは引きこもり中だったので、

死が遠のいても終わらず、次は

被害妄想が来た。(被害妄想は

なぜか薬があって消せます)

それがまだ15年か、そこら前だ

とは信じられない。還暦には元気

になり、バイト先でも落ち込んで

いたとは誰にも信じてもらえそう

にないほど、二人分を働いた。

と言うのは、オランダに行くので

辞めますとなったのだが、僕が

辞めた後は僕の仕事は二人を雇っ

てさせていたから。暇そうに見え

る病棟の管理の仕事だったが、

マニュアルどおりにすると、15分

に1回は仕事があるので、僕は

勝手に融通の利く時間に細かい

仕事を一遍にして、自分の休憩

時間を増やしていたのだ。あと、

ルールも勝手に変えていた。その

ほうが自分にとっても精神的に

やさしいし、主に統合失調の患者

にとってもやさしいからだ。時や

人に応じてルールどおりでは不都合

が生じるのはこの世では当たり前だ。

実際その通りにして、患者と喧嘩に

なった不器用な職員もいた。

僕はその所為かどうか、自慢だが、

患者さんにはなぜか非常に歓迎

され、尊敬すら集めていた。それ

は患者に夜中、熟寝中に起こされ、

寝起きでつい叱責してしまい、

彼は「わたしはなぜ〇〇さんにそう

言われなければならないのか、わか

りません」と言って、涙を浮かべ

ていた。抗議ではなく、いつもの

ようにとの懇願だった。このとき

ほど反省し、恐縮したことはなかっ

た。彼の僕への信頼が如実にわかっ

た。他にも患者と職員の事件があっ

て、怒り狂った患者に声をかけたの

だが、彼は恐縮してしまい、あとで

職員から「あの患者は〇〇さんが

好きらしいです」と言われ、彼への

夜の訪問でドア越しで軽く済ます

というルール違反(ほんとは夜起き

ていたら、直接注意しなくてはいけ

ない)をしていたのだが、それが

こうも効いているとは思わなかった。

彼には夜の訪問がかなりストレス

だったらしい。ケガの功名だったか。



だから、この世がおかしい人だらけ

だと書いたことは飛躍ではないのだ。

統合失調症は病院に通うことになる

人でも8割が社会生活に戻ると。

どうして原因も60年前からわかっ

ていないのに、統合失調症という

名前があるのか。これはアメリカが

最初に命名したからだろう。それは

アメリカ社会がそういう患者で

あふれた歴史経験を持っているから

だろう。それで、日本にもそれが

遅れてなだれ込んでいるからだ。

もう今までとは違うのだ。人生相談

なら、心理資格とかではなく、それ

以上に神経症の医療的な知識や経験

が必要になる。そうでないと、人が

殺したいと言って、無差別殺人に

赴いてしまう若者をいつまで経って

も、なくすことはできない。

犯罪に走るほど無知で無駄なこと

はない。

経済事情でほんとうに落ちている

曲がった釘とか瓶のフタを売る

インドの避難民、明日ではなく今日

食うために、給料ではなく、食べ物

が、それが今日食べられるか、家も

なくホームレスの手製のバラックだ。

それが実際の貧困というものだ。

体をケガしてもう人生の目標という

なにかができなくなった絶望は偽物

だ。インドの乞食は親に売られた

子供たちで、気の毒だと思われる

ために、その手足を半分から切断

される。

犬のような手足になって、それでも

生きなければならないのだろうか。

これも書いたが、インドのバスで

停車中に物乞いが乗ってきた。

上品なおばさんが四つん這いで

近づいてきた。僕は息が止まった。

そうだった、声が出ない。それほ

どショックだった。見世物小屋で

はない、どこにでもいるふつうに

やさしそうな人だったので、それ

は酷いギャップだった。

愛すると(自分で思い込んだ)人か

ら振られてしまった。もう生きられ

ないと感じる。その時、それを捨て

て恨みに替えてしまう人はストーカー

になる。恨みはこう言い訳する。:

相手を殺してもいい、自分も死ぬ

のだから。:お互いに死を犠牲に

するから等交換というわけだが、

これは計算であって、正しくない。

君は好きに追って、相手は嫌いな

もの・干渉・言葉を押し付けられる

のだから、不公平この上ない。

死んだからといって、その犠牲の

気持ちはわかるがそれは一方的な

犠牲であって、それはすべてを

償えるわけではない。千回死んで

も足りない。

要は自分がそれを我慢できないのだ。

この執着をどうすればいいのか。

気持ちから生きる人なら、他人に

話すことだ。話して話して、気持ち

を出し切るまで涙枯れるまで話す。

あとは、・・。

考えで生きる人なら瞑目して、相手

とのことをすべてその経過を思い出

すことだ。どんな小さなことも、

思い出してそれは何だったのか、

どうしてそうなったのか、情景を

目の前に描いて自分と相手の

(想像の)心に尋ねることだ。

あとは、・・、

そう、あとは時間が解決する。

真剣であればあるほど、早い。



そこまでの貧困とそこまでの

身体障害とそこまでの愛への絶望、

という3点セットで2点でも重なれ

ば、僕は限度を超えると思う。

境界線だろう。

だから。ベートーベンが耳が悪く

なっても音楽を作曲したとか、

ヘレンケラーが盲目・耳が聞こえ

ない・(当然、うまく)喋れない

という三重苦の人が奇跡的に

支えられて政治活動家にまで

なったという偉人伝などどうでも

いいのだ。

ベートーベンは偉大な音楽家だっ

た。けれども、甥っ子を可愛がり、

君子教育を押し付けて、甥っ子は

追い詰められて自殺未遂までした。

偉人ではなかった。

ヘレンケラーはシュタイナー教育

で知られるルドルフ・シュタイナー

がいなければ私は生きていけなかっ

たでしょうと、語った。シュタイナー

は超能力者・霊能者である(と言わ

れる)が、ケラーによい暗示のある

言葉を残したようで、だが、イギリス

国王だったか、過去の透視で歴史時間

の明らかな間違いを犯して、「アウト

サイダー」を書いたオカルト・犯罪

学者のコリン・ウィルソンにそれを

指摘されている。

ともかく、そういう闇の暗示に助け

られる、という人間の根本の弱さを

克服したような偉人というものでは

ない。

ベートーベンにしてもケラーにし

ても、それは尊敬すべき我慢のでき

る人だったが、ふつうに欠点のある

人間だった。自分とは全く違う人を

手本にせよ、というのはその意味も

意義もわかるが、それは正しい方法

だろうか。

僕は個人的にだが、偉人は信じない。

最初のノーベル平和賞の受賞者だった

シュバイツァーも時間の観念のない

アフリカの人の労働の休んでばかり

のいい加減さに怒鳴って仕事をさせ

ていた。彼の理想は立派なもので、

医者になるため、7年も医学の勉強

をしたが、その尊敬すべき人格は

認めるが、彼の理想の本来の姿が

彼には決して見えていたとは言え

ない気がする。

アフリカで患者を助けると、神に

感謝しなさいと祈りを捧げるよう

に言って、キリスト教を受け入れ

るように言った。

つまり、宣教者だった。西洋は神に

囚われた世界だ、心の奥底まで。


究極の貧困、五体や五感の不満足、

愛の絶望という三つのうち、二つ

にでも襲われたら、それでも生きて

ほしいとは願うが、それでも野良犬

のように生きるのは、・・生きる

ことはできる、だがそれでも心が

折れるのなら、僕は止めない。

死んでいいよ。




弱い人には言わない。強い人になら

言う。または僕のようにへそ曲がり

になら、言う。死んで来いよ、と。

それで僕はそう自分に言われたので、

それなら逆に生きてやろうじゃない

か、まだ生きようとするのは無理

でも、呼吸だけは続けられると、

息だけして数か月を凌いだのだ。

たぶん、自分はそうすると、うす

うすわかっていたのかもしれない。

人にはそれぞれの自分がある。対処

法・対症療法はそれぞれ違うから、

自分をよく鑑みて、未来に向かっ

て元気なうちに「そうなったら

どうするか、」シュミレーション

の意味でも考えておいてもいい

と思う。



今夜は中秋の名月とか。

夕食後に外へ出て、雲の合間の

満月を妻と二人で眺める。家に

戻って、妻が言う、「月を見に

外へ出てくるのは、近所でも

うちだけね」と。確かに、スー

パームーンとか金環食とかで

なにかと夜外に出るが、この20

年以上、近所の人で出てきたの

に会ったことがない。

「もったいない」「そうね」

と、うちは不思議な家族なの

だろうか、この近所ではそう

なのかもしれない、笑。
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自由でない僕らはそれでいい [自由]

自由になりゆく自分がいる。

それでそのまま何もしない自分が

いる。

自由は僕の目的なのだろうか。 

考えてみてくれ。君の自由は

君はその自由を認めないで、

自分はつらいと思っている時に

自由ではなかった、そうでは

ないのだろうか。

今もそういうつまづきは、どこ

にでもある気がする。でも、

つまづかなくなったのだ。

進歩したからじゃない。退歩した

からだ。自分を実現とか、発展と

かを見捨てて、後退するのを選び

始めたからだ。後退するのに

ためらいを覚えなくなったからだ。

必ずしも進歩する、先に進む必要

はない気がする。その理由は思い

もしないが、それを考えなくて

いい、そのようにあまり進まずに、

ほぼ下がってしまう。下がっても、

以前のそれは脅威を感じていた。

昔のことになってしまったが、

それもここ10年くらいのこと。

それ以前のもの心ついてから

半世紀近くの長き間は生活や希望

はレベルアップすべきだと思って

いた。

結婚や子供、家と教育費が降り

かかってくる世代はどんな反省も

する暇はなかった。レベルアップ、

それが世間の思惑で自分がそれに

従っていただけで、皆が生活する

目標で生きるのが当たり前だとい

うこと、それを疑いもしなかった。



そこには明らかな仕掛けが施され

ていたのだが、僕らはもっと大きな

網が国際規模で仕掛けられて、その

地方である日本、その中に居るので、

その一部を見破っただけでは偏った

批判しかできない。直接、的(まと)

に当たらない批判をしてもただ疲れ

て行ってしまうだけだ。

そうして世間は小さな重大事件に

巻き込まれて、全体を見る視点を

失う。社会全体を見る視点は個人

でそれを実現するのは並大抵では

できることではない。

その知識はすべてであるから調べ

れば、そして、詳細でなくても

その大方の本質を感じるまで、

知識を経験で陶冶できれば、誰で

もそれを知り得る。

しかし、誰かそれをするだろうか。

自分の生活を時間をかなりそれに

つぎ込んで、自分という人間心理

が経済や政治、それに少し隠れた

その関連の思想が裏打ちする格好で

本来のその思想とはズレて支配して

いるのを見る。見えるが、それが

なにか、その正体に気づくだろうか。



そういう行動に出るだけでも、かな

り激しくも強い動機付けがその人に

必要になるだろう。

忙しいという時間のこと、そう思わ

せられている社会の労働への産業

構造とその価値体系のこと。言うは

易しい。

朝に目が覚めて、同じ部屋にいる

のでまだ自分(存在)は継続して

いると思う。そして、現実の世界

が存在しているのを確信してしまう。

なぜなら、生まれた時から知らずに、

また知るようになってからも世界

が続いているのを一万日以上も

見続けているから、そう考えるの

が習慣になっている。

習慣になったことに気づけない。



大昔でもないが、太陽も月も空に

昇って西に沈んでゆくのだから、

この大地を中心に日や月が回って

いると考えて信じた人たちとそれ

は変わりない状況だろう。

大地が丸くて宙に浮いていると

いうのは、地上で浮くのは煙とか

くらいなので、重い大地が浮いて

いるというのは、非常識(非自然)

な考え方だった。

これが僕らが自分の状態を中心に

日常の経験に比較して結論を出す

考え方のすべてというもので、それ

は自分の地方・地域の状態に固執

している。

囚われているのだが、僕らは自分

を離れられない。夜に睡眠中に夢

を見れば、自分が働いていない意識

がはっきりしない状態だとわかる。

夢は支離滅裂だから。

なので、自分を超えたりすること

はないし、無秩序という恐怖だと

思うから、試すこともなく、ます

ます自分に固執するのが我々なの

だ。

また僕らの自分は自分の面での

良いとこ取りをする自分に逆ら

えない。そこでは無秩序とともに

狂気があり、おかしな認知症もど

きの向こうには死がいる気がす

るから。だから、自分に脅され

ているとも気づけずにいる。

自分が自分を縛っている?いや

そんなことはない、私は自由に

やっているよ、と。


ある盲目の夫婦のことが印象に

残る。それまでの経緯はわから

ないが、長男が一人、その子供

だけが一人いて、その子がよく

できた子で働いてその夫婦を支え

ていた。

ところが、夫婦は息子に感謝の

念を表すことがなかった。私たち

の子供なのだから、当然、目が

見えない人を助けるのは当然、と

いう態度でかなり好き勝手に暮ら

していた。

それを聞いて、TVを見ながら驚い

てしまったが、盲目の彼らにとっ

てはそれが常識だとでも言いたい

考え方で、彼らは正しいと思って

いただろう。その考え方の上で

自分たちは自由に暮らしている、

と思っていただろうし、子供も

それで当然と、親の世話を喜んで

いたようだ。

夫婦はただ盲目なのではなく、

心の想像力でも盲目だったのだ

ろう。子供の稼ぎが悪くなった

りすれば、子供に文句を言って

当たるのは眼に見えている。

子供が例え、幸運にも裕福に

なって親の面倒も人に頼める

ようになっても親の老後は

とても楽しい晩年と言えない

悲惨な結果があるだろう、と

いうのは想像でも想定内だ

ろう。

それが悪く出て、子供が過労で

倒れたり、結婚もしないで病死、

事故死とでもなったら、その夫婦

はその悲劇を息子の所為にして

もっと悲惨な晩年を迎えるだろう。

それがどうなったかはわからない

が、彼らは与えられた自由に、

それが普通は与えられないもの

だということに気づくべきだっ

たろう。少しでも感謝すれば、

三人での幸せもあっただろう。



今、自分が自由であったのなら、

たった一人で自由な境遇という

のは社会生活を営む上ではない

だろう。何か枷になってあなたを

制限する、それに気づかないこと

がその中で自分は自由だと感じら

れる条件である。

だから、盲目の夫婦が自分たちは

自由だと感じていたとしても、

また僕らが世界の他国とは政治体

制も異なり、法律や掟・文化も

異なり、その中での生活で自由に

やっている、と感じているのも

同様なことで、間違っているの

ではない。



ここでAI のことになるが、AI が

人間の仕事を奪い、職種が少なく

なり、就職難になるのではないか

ということが騒がれ出した。

AI の学習能力は優秀なので、人件

費が会社の諸経費で最も嵩むので

あれば、それを削るのが手っ取り

早い。それは昔ながらの効率や

損益の大小を比較したもので、

ただの計算だ。

昔もそうだった。機械が発明され

て、やれやれこれで人間様は楽が

できると喜んだのは束の間、競争

相手も同様に機械を導入するだ

ろうから、従業員は楽ができる

どころか、倍に働けと言われ、

給与もさほど上がらず、ひどい

処は機械を導入した分、従業員

の首を切った。

そういう環境が支配しているの

に僕らは気づいている、知って

いると思っている。が、それに

ついてなにかを正そうとはしない。

それには自分が浸かっている環境

が大き過ぎると思っている。

自分の生活が脅かされ、死活問題

にでもならない限り、その方向は

避けて、守りに入ってどうにか

しようとするか、普段考えるのは

そう落ちぶれないように格差の

上の階級・レベルの生活をしよう

と思う。それが常に資産や金銭の

ことになる。

誰もがそう気づけばおかしいのは

わかるのだが、少しの反省でそこ

から先を考えても仕方がないこと、

となるようだ。だから、今の生活

に埋没するのではないだろうか。

今がよければそれでいい、という

のは廃れない真理だろう。

だが、その全体にバランスを整え

られるほどの生活力や支えてくれ

る環境やもの・人とうまく交流し

てそういう関係を築いていること

がその前提条件だ。そうでなけれ

ば、盲目の夫婦と社会一般となん

ら変わらないだろう。



そこで提案だが、僕らは個人の

勝手な自由を満喫しようとする

だろう。それこそ僕らの自由だ

ろう。

しかし、もうひとつ、環境・人・

物への調節ができるほどに周囲

へのアンテナを広げ、それらへ

の気づきが遅れないように時々

はその世界と人生においての位置

という精神のバランスを取るべき

だし、その上での僕らの実生活

ではないだろうか。気づきから

目を逸らせるべきではない。

AI や量子コンピュータは人間性

たるものを備えていない。それは

誰かがそこに指示を与える、その

人間の自己がそこにその人の自分

を植え付けるということで、その

思考や思想を発展学習して、機械

は一部の主張とは気づけずに、

人間を支配しようとすることは

起こっても不思議ではない。

機械は感情の会話を真似すること

ができ、相手を篭絡するための

1億通りの説得の言葉を記憶も

できるだろう。それは言葉巧みな

詐欺師の言うことを信じてしまう

僕らが、その会話に取り込まれ

てしまうのにも似ている。

しかし、それはもとはと言えば、

ある個人の技師とか教授などの

考え方が根本・中心としたもの

であり、その上での感情である

から、決断の事項に入ったなら、

平気で2人を殺して1万人を救う

という計算をするだろう。

それは計算上、正しいが、時には

そうせざるを得ない時もないわけ

ではない。その時、人間なら、矛盾

した問題に突拍子もない解決策を

思いつくことはあるだろうが、

機械には1と0で超高速で計算する

ことしかできないから、状況を跳び

超えるという、発想の飛躍ができ

ない。

それができるのはどんな超高速の

コンピュータでもない。感情や僕ら

の感覚から生まれるものは、知性の

一部ではない、不完全ながらも

時にその時の完全な正解をはじき

出すことがある超意識とか無意識

とか未知の感覚なのだ。人はそれ

を奇跡と呼ぶ。が、奇跡ではない、

それはあまりにも自然の自然な

一部なのだ。

それは僕らの思考を、感情を、感

覚を協調・妥協させるほどの熟練

という心の成熟だと思うのだが、

・・。

それはそれぞれの人のおかしな

個性とも協調する道を見つける

だろうに。だから、行き着く先が

君子だとか聖者だというのは、

自然を無視したいい加減な話な

のだ。僕らは僕らでいい。



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常識とオウムを鳴かす [宗教]

ブログはジャーナリズムの性格が

濃いジャンルなので、日記や記事

という体裁になるが、そのため

ほとんどのブログにはそのブログ

専用のテーマがある。

その常識のテーマという体裁を

無意識にだが、壊そうとしてきた

経緯があるのは、最近わかって

きた、と言うか、今考えて

わかった。

元々革新的なことを狙いにする

気質だから、これもその一環なの

だろう。

ものは物事の一部で、精神は心の

一部である。芸術でも絵はより精神

に傾いているものであり、彫刻は

物のほうに傾いているものである。

器を見て、買い、作り始めながら、

次第にものについて書くのだろう

と、なんとなく考えていたが、

一般に物は表現ではない。彫刻に

しても、表現するよりもその造形

というものの存在感に語らせよう

とするものだ。

精神は語るが、ものは沈黙する。

それが理法にも適っている。

精神は思考するもの・考えるもの

であり、それは数字である言葉

(単語)と数式である文章を組み

立てて語ろうとする、表現意志が

ある。それでそれを評論するとい

う経緯も成立する。

評論の第一人者の小林秀雄も、

絵や音楽の評論での評価は高いが、

一時骨董を売り買いしていた頃の

その当時の陶器や磁器の評論は

見たことがない。土器には相当、

嵌ったようで、そこからぽっと

夢が覚めたように抜け出た時は、

磁器の艶のある白さが美しいのを

忘れていたのは尋常ではなかった、

と当時を反省している。

それくらい集中して土の景色を

見続けて面白かった、ということ

だが、その小林でも器のものに

ついての直接な評論は書いていない。

自然に器の沈黙に寄り添っている

のだろう。

僕も器が自分を主張して、その存在

を現した時は痺れてしまったが、

ものの原点とかいう考えが、まったく

それから出てくることはなかった。

小林もそうだったのだろう、とは

最近気がついてみると、ということ

でそれならそれで納得がいくという

次第である。

それはちょっとした園芸で庭に

新しい花が咲いた時に、美しいと

直感的に感じるのと同じである。

それは感じるのであって、考えて

そう思うのではない。言葉の世界

ではないのだ。言葉はどう思ったか

を伝える世界であって、直接伝え

られないから、「美しい」という

言葉で囲う、または言い繕う、それ

は言葉で装飾することだ。そこで

沈黙している器に私が思う美しさ

を花屋のように花を色紙で包んで

やることだ。だから、人がそれぞれ

思う数だけ、それを包んでやるので

あり、「美しさ」そのものは存在

しない。小林の言うとおりだ、

「美しい花はあるが、花の美しさ

というものはないのだ。」

まこと、名言だとまた納得する。



それを敷衍(詳細)すると、人の

性格や性質もまた、いいとか悪い

とかわかっているような気がするが、

その内容にまで立ち入ってみると、

様々な性格の要因のようなものが

あり、またその受け止め方で好き

嫌いに分かれることもあり、性格

や性質に云々するのは立ち入り禁止

区域である気がする。微妙に意見が

割れる要素や範囲が多い気がする。


だから、あの人はいい人だとよく言わ

れることがあるが、その程度で十分

だという僕らの常識があるのだろう。

深追いしても始まらないというこの

人々の生活上での長い間に培われた

直感の積み重ねはごく自然に納まっ

たというものなのだろう。

僕らは常識をわかりやすいものと

単に考えるが、その内容を見識す

ればするほどわからないものの

集まったかたまりに見えて来る。

すると、こうも言えるのではな

いか::常識ほどわからないもの

はない、と。

ま、小林ぶって名言を生みだそう

というのではないので、それが何?

と言うのではないが、僕らの頭に

はその言葉の直接な意味は数万も

ありながら、言葉の示す数億、

数千万も直接な対象への実感的な

理解は千から五千もあればいい方

で、よく考えている方なのかも

しれない。

僕らが文明・文化の進化発展に

よって知識が膨大に蓄積された

と考えているが、それはスポー

ツファンが応援しているアスリー

トが優勝した時のようなもので、

それはその選手の人生を変える

だろうけれど、あなたの人生には

どれほどの影響を与えるものだ

ろう、エンタメの映画やドラマの

ように一時的なストレス解消や

勇気をもらったというカタルシス

をもたらすだろうが、あなたの

人生を変えるほどだろうか。



人と比較してもしかたない、自分

の人生だから。僕の死をも無視

する勇気は自分の気持ち悪さをも

越えて、19歳で陥った無の意味

を解決しようとして飛び込んだの

が、新興宗教だった。宗教に入信

するのは気持ち悪いことだった。

しかし、体験の意味もわからず、

そのまま平穏に過ごすことはでき

ないと思い、僕は気持ちを押し

殺して、探りを入れたいという

知的欲求に従った。

そこはまだ宗教法人になり立て

だったのだろう、オウム真理教

だった!!!!

オウムは坂本弁護士一家殺人事件

から世間を騒がす一連の事件を

起こす世界的にも有名なテロリスト・

カルト集団である。知っておいで

だろう。

あろうことか、僕はその歴史の

一端に、わずか3か月半くらいだ

が、触れていたのだ。自分が歴史

的事件の端っこでも関わったと

いうのは想定しないし、実感が

ないものだ。

その期間はちょうど坂本弁護士の

事件が起きる直前の平成元年の

7月に脱会して、世間を騒がす事件

を多くの人とと同様に、TVの前で

傍観者として眺めていた。

坂本氏の現場の家でオウムのバッ

ジが発見されて、オウムの仕業で

はないかと噂されたが、僕も半信

半疑でよくわからなかった。

もしも、在家信者でなく、出家し

ていたら、組織の行動に巻き込ま

れていたかもしれないので、その

違いは紙一重だったのかもしれ

ない(危なかった)。サリンを

撒いた地下鉄テロ事件では被害者

も多く、気の毒なことだった。

オウムの思想とか行動とかには

無関係にオウムで知ったことは

それからの人生に大きな影響が

あった。それは新興宗教の経営

のからくりであったり、半端ない

宗教洗脳の体験効果とその自力

脱却や、あとで役に立つヨガの

呼吸法や、県警と警視庁の対立

が実際のものであったことや、

テロリスト麻原教祖こと松本

智津夫の悟りの嘘・あいまい体験、

その経営手腕といい加減な仏教

解釈、初期のオウム神仙の会

(初期はスピリチュアルだった)

の頃の超能力修行の欺瞞、など

など。

3か月半でも脱却できたのは、

皮肉なことに19の無の体験の

強烈さのほうが洗脳よりも上回っ

ていたからだった。それが逆だっ

たら、オウムに残っていてどう

なっていたかわからない。無の

体験がそれを解明しようとして

入会したオウムに洗脳され、結局

は解明できなかった無のショック

体験が洗脳を解いた。だから無の

体験のほうを僕が信じるのも無理

はない。

こういう人生は尋常ではない。それ

で尋常ではない体験が尋常な常識

というものを理解するのだろう。



あまりこの先を書きたくないので、

書くにしてもすぐには書かない

だろう。子供たちもいい大人に

なったし、自分で家族など自分たち

を守れるだろう。この時まで世間

に顔出しはしたくなかった。オウム

は自分の中でこれまで封印されて

きた。オウムは僕の中で人生の

6,7番目に重要な事件であって、

隠したいほどのものではないが、

世間的には一番だろうとわかる。

だから、子供への世間からの風評

被害たる影響を避けるために書く

ことは控えた、それだけだ。

そして、また宗教心理や人の心理

の基盤については大きな示唆を

解明させて、与えてくれた。



まさか、ここで書くとは思いも

せず、自分でも驚きもし、そうか

今か、とも思う次第だ。年月は

経つものだ。これ、投稿していい

のだろうか、と思うが、してしま

うのだろう、僕のことだから。


秋の 夕べ 

まさか ここに来て 

鳴かずの オウムを 

鳴かすとは 



::

くどいとは思うが、僕はオウムへの

入信期間は3か月半くらい。世間や

世界に知れ渡るテロ事件を起こす

やはり3か月前に退信しているので、

テロとは一切関わり合っていない。

外部信者なので、内部のことは噂

も知らない。



県警と警視庁とで2回ずつ、4回

刑事が訪ねてきた。1回だけ県警で

調書を取られているが、日誌に

退会のことは書いていたので、

そのコピーを取っていた。

その4回だけで、それ以降は警察

からの取り調べ・訪問はない。

主にオウムの逃亡犯がいたので

その潜伏先から外すために取り

調べを行ったものとみられる。

・・やれやれ。



オウムのテロに直接被害を受けて

殺された人、障害が残った人、

また犯人に間違えられてきつい

取り調べを受けた人たちを除いて、

間接的な外野である僕らには大き

な事件ではない。日頃から忘れて

しまっているではないか。

僕にはウクライナから連れ去られ、

ロシアで洗脳教育を受けて将来

ロシアの兵隊にされる多くの子供

たちのほうを憂える。彼らに人生

の選択をする機会はほぼないに

等しいだろう。

僕らは大事なことでも最低限、

気にしなくてはいけないと思う

だけで、いつの間にかそれも

取りこぼし、身の回りだけで

済まそうとする、所謂、いい人

ではないだろうか。

僕も還暦になり、自由な生活の

選択ができるまでは、なにも

すべきではないと思っていたし、

なにもできなかっただろう。

鉄が十分に熱せられるまでは、

叩いても鋼にはならない。それ

ぞれの人生の時期があるだろう。

僕は今、それを取り戻そうとし

ているのかもしれない。オウム

ではなく、仏教やキリスト教や

イスラム教、儒教、聖書の犠牲

になっている宗教を必要として

いる僕ら人間の性(さが)に

ついて、・・それを。



死なば 死ね 

我 頭蓋の化石 もろともに




’23 . 9.23

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泣けばいいは夕暮れまで [詩]

僕には何が許されているんだ

ろうか。思いついた言葉の意味

を知りたいと思う。できること

はいくらでもあり、なんでも、

と答えても反応はないだろう。

孤独のベールは見えないものだ

と今知ったような気がする。

かが恋しい。

誰かが好きだったという日記の

1頁のようなものが目の前に

開かれて、それは初めてのつも

りなのに、いつも歴史の匂いが

した、と答えてしまう。

僕はなぜか、帰って来た、という

空気に包まれてしまう。ここに

毎日居るのに、なにを言っている

のか、誰も僕がその想いにあるの

を知らないではないか。

それとも皆、知っているのだろうか。

それは優しい気がする。

近づいてくる君のすり足の音、・・

だろうか。

誰も僕を救わないだろう。それは

いつもわかっているつもりだから、

それを尋ねようとは気にしたこと

もなかった。そうだろう、そうな

のだ、その時に孤独のベールが見え

たのだ。幾重にも、幾重にも、うす

い灰色のベールが揺れる布のように

重なって、僕のゆく道に並び、並び

続けていた。

それは普段はまったく気づかない

もので、触ろうとする前に消えて

しまうので、触ることがなかったし、

記憶に残ることもなかった。

それはもう孤独の役目を終えた残骸

のようなもので、さらさらと乾いて

いた。誰かが着ていた抜け殻のよう

でもあった。

誰かが誰かを愛した記憶でもあった

ろうに。涙の一筋さえ見つけられな

かった。


どこかで人は自分の過ごしてきた

過去に戻ろうとするものなのだろ

うか。

たとえ、そこに確かな思い出が

なくても、その温かい皮膚の下に

体を横たえようとするものなのだ

ろうか、誰も聴かなくなってしま

う民話のように。



Run A Way・・

それでも 遠ざかる 

なぜに  遠ざかる 

涙を 救おうとして? 

それなら 

泣けばいい ものを 

遠くに  ささやくように 

聴こえるようになった 

君の  声  

力強く  元気な 歌声も 

友だちを  励ました 

あの声 



遠くなった 

膝の上に 右手を 

置いた 

震える 歌声が 

手のひらを 伝わるよう 

君が  好きだ 

と  言いたかった 

それは  でも  

お互いに  わかっている 

そのつもりでも 

そのほうがいい  と 

思ったりした 



静かに  坐り 続ける

なにもない  この時 

この場所を 満たすものは 

なにか 

いつから  落ち込めないように 

深淵の底から  ジャンプを 

しなくていいように  

なったのか  

こんなに 自分の好きな

積み木細工をするように 

日々は  変わったのは

日々は  朝と  夜のように  

変わっていない  



狂気や 歪みは  いつも 

遠ざけてきた  のが 

よく  わかる  

自分を見る 眼が

狂うのが  怖かった の 

だろう 

健康ナンテ  わかって 

いなかったのだろう


フーゥ 息を

吹きかけるように 

僕の  魂が  消えて

燃え尽きる 

そうして  闇夜で 

魂ナンテ  なかった と 

知るのだろう 



あの人は  知ってる人じゃ 

ないが 

歴史の 幌馬車に 

乗るそうだ それは 

長い  旅  

おたっしゃで 

あの人は  誰だったの 

だろう 



縦に 飛行ランプが 光る 

夜間航空は  あれは 

航空機では  

ないの だろう 

もう10分も 同じ空の 

その位置に 

やはり  あれが 

金星 なのだ 


わからないものは 

わかりやすいものを ほんとうに 

知るための  望遠鏡だ 

わかりやすいものに  安心は 

終わりを 告げることだ 

遠回りだが  厳選した 

なにかを  知る喜びは 

わかりやすさを 

一層 きちんとした光で 

その背後の 陰影を 

確かめさせて

照らし 出す 

一度でいい  その  

知る喜びに  包まれるのは 

それで “知るとは” なにか 

を  知るから 



家が 恋しいかい 

一時期の  棲み処と 

思っていたが 

20年以上に 

どこかに  居続けるのは 

得意では なかった 

好きだった放浪も 

旅に 化けてしまって 

生活への  要求が  

増えすぎて しまった 

しまったと 思ったが 

もちろん  もう遅い 



だから  そうなってしまうと 

冒険を  するようには 

心も  体も 

動かない 



Run A Way・・

それでも 遠ざかる 

なぜに  遠ざかる 

涙を 救おうとして? 

それなら 

泣けばいい ものを 

遠くに  ささやくように 

聴こえるようになった 

君の  声  

力強く  元気な 歌声も 

友だちを  励ました 

あの声 



遠くなった 

膝の上に 右手を 

置いた 

震える 歌声が 

手のひらを 伝わるよう 

君が  好きだ 

と  言いたかった 

それは  でも  

お互いに  わかっている 

そのつもりでも 

そのほうがいい  と 

思ったりした 



静かに  坐り 続ける

なにもない  この時 

この場所を 満たすものは 

なにか 

また 新しい日に なるの

だろう 

次に 泣くのも  

次に  涙を 救うのも 



Run A Way・・

それでも 遠ざかる 

なぜに  遠ざかる 

涙を 救おうとして? 

それなら 

泣けばいい ものを 

遠くに  ささやくように 

聴こえるようになった 

君の  声  

力強く  元気な 歌声も 

友だちを  励ました 

あの声 



遠くなった 

君を 叫ばせなかった 

だろう?

弱味を 見せてくれ 

そういう時期も 

(手段も) 

あるのだ 

ないものを  あるように 

恐れないで 

恥ずかしがって くれ 





ああ 

これが 僕の

声  

なのだな  
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