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火星の科学者たち [古代]

鈴、というか鈴の音について、

まず書くつもりである。

駐車場は高台になった壁の上に

ある。車のキーを取り出しながら

ついていた鈴の音を聴いた気が

した。落としたのだろうと周囲

を見てみるが、ないので後に

しようとそのまま歩いた、と

いう話をだいぶ先日になるが、

した。

それから折につけ探してみたが、

3か月以上、ついに見つからない

ので諦めた。その途中にも後日談

があって、それを話す機会を得た

と今日思った。なぜなら、その

道筋の手前で鈴を拾ったから。


半年から1年で鈴が出てくるの

かもしれない、というほぼあり

得ない発想なのだが、その探し

ていた頃はそう思っていた。

それが想定通りに出てきたのだ

から、やはりな、とも思い、

よく出てきたとも思うが、その

拾った鈴は、落としたものでは

ない。それは1円玉くらいの大き

さの布地の丸い姫人形が小さな

小判と一緒に同じくらい小さな鈴

がついた根付だった。

1年近くも経てば、同じものが

現れるはずもない。鈴も半分く

らい小ぶりで音も小さい。それ

をまた、車のキーに結びつけた。


では落とした後の後日談を::

実はその後1,2週後に、車から

降りて駐車場を出る間際に、

隣りのマンションの1階のほう

で鈴の音を聞いた。フェンスが

あり見えなかったが、猫が鈴を

つけて歩いたのだろう、珍しいな、

今どき猫に鈴とは。と、思って

いたら、その短時の音だけで

後は鳴らなかった。猫の姿もない。

それどころか、もう何年もこの

駐車場で猫の姿を見かけたこと

はなかった。

そこで思った。幻聴だったんだ。

すると、あの時に落としたと思っ

た鈴の音も幻聴だったかもしれ

ない。まっことそう思うと、そう

思えてきて、落としたのではなか

った、と自分の中では解決して

しまった。

ま、想像のレベルなので、探すの

はそれなりに続けたが、・・。

そこでこれまでの復習だが、僕は

自然に即して科学的思考をして

いるつもりだが、科学者というの

は数理的な結果でいきなり結論を

出す者がいる。それは科学の

前提になる科学的思考がわかっ

ていないのではないか、と疑念

を抱かせるものだ。

例えば、犬の嗅覚は人間の100

万倍などと言うが、嗅覚という

場所を使うからだろうが、それ

を人間と同じ匂いだけで済ませ

るのは、かなり不都合なことだ。

人が木の影など見えない場所に

いれば、そちらが風上ならば、

見えず、聴こえずとも、人がいる

のをわかる、ということから

推測されたのだろうが、それが

単純に人と同じ匂いへの感度で

あるなら確かに犬には犬の嗅覚に

よる世界像があるだろう。

しかし、だ、100万倍の嗅覚って

それくらい強く匂うということ

なら、唐辛子やわさびなんかは

どうなのだろう。その強烈さが

100万倍なら、嗅いだ途端に気絶

してしまうのが落ちだろう。

寿司屋の近くや食卓の刺身の側

には寄り付きもしないはずだ。

だから、犬の嗅覚というのは

単純に人間の嗅覚に比較して

比例で数値を出すべきことでは

ないのだ。犬は嗅覚の中に、また

は嗅覚を働かせると同時に、何

らかの“気”を感じる器官(感覚)

を働かせているはずだ。

そうすると、それがあれば米国の

犬を飼っている老嬢の話も納得さ

れる。彼女は健康診断を終えて、

何事もなく安心して帰宅すると、

飼っている犬が近づいてきて、

胸に鼻先をつけてから、悲しい

顔をして離れてしまう。いくら

呼んでもいつものように近くへ

来ないので、二日ほどしておかし

い、と思い胸の健康診断をもう

少し詳しくしてもらったら、癌

が発見された。老嬢はその犬に

大事な絆を感じていたので、その

ままで済ましてはいけないこと

に気づけたのだろう。

この話はまれな例ではなく、犬は

本来、どの犬も癌の発生を嗅ぎ

分けられるそうだ。と言っても、

レントゲンではあるまいし、体

の中の癌を犬はどうやって知る

ことができたのか。匂いは菌が

もたらすのだから、そんな匂い

があれば、化学的にも科学的にも

感知する装置を発明できるはずだ。

だが、そんな装置は聞いたこと

もない。動物の感覚は未知の

世界だからだろう。


最近の科学ニュースを見てみよう。

「人類の祖先は約90万年前に約

98.7%減少し絶滅しかけていた

ことが明らかに」(Genomic infe-

rence of a severe human bottle-

neck during the Early to Middle 

Pleistocene transition)

https://www.science.org/doi/

10.1126/science.abq7487

(Human ancestors nearly went 

extinct 900,000 years ago)

https://www.nature.com/

articles/d41586-023-02712-4

サイエンス誌とネイチュアー誌

の記述である。

これまでの研究では約400万年前

~200万年前に生存していた猿人

や、約180万年前に誕生した原人

の化石は発見されていたが、約95

万年前~65万年前のアフリカ・

ユーラシア大陸に生息していた

人類の祖先の化石はほとんど見つ

かっていなかった。

イェール大学の人類学者は、古い

化石から古代のDNAデータを採取

することは技術的限界があり、人類

の祖先に関する人口の動態について

はほぼわかっていないと。

そこでそのミッシングリンクのよう

な約100万年前~80万年前の古代

人類を研究するチームが、現代の

人間の遺伝子データから人類家系

図を構築し、それを遡る方法で

その進化を探る調査をした。

その結果、約90万年前に人類の

祖先の可能性がある未知の種が

わずか1280頭にまで減少して

いたことが判明したと。

この時期は地球の寒冷化で気候

の変動が激しく、そのために

人口減少して、デ二ソワ人や

ネアンデルタール人の共通の

祖先が誕生した可能性がある、と。

その後約81万3000年前に再び

人口を拡大したが、それがどの

ように、またどうしてかは不明

だとのこと。

山東第一医科大学のハオ氏は、

約90万年前の減少によって遺伝

的多様性の約3分の2が失われ

たと、そこからの進化は不明な

点が多い、と。

遺伝子科学でそんなことまで

わかるんだ、と驚きワクワクも

するが、読み返すと、判明した

ことは人類が約90万年前に減少

した可能性があることだけで、

確実な情報は0だ。

わかりませんでした、と。

考えてみれば、90万年と一口に

言っても、90万年!である!笑。

日本史を見てみよう。縄文時代

は1万6000年続いたらしい。

そのあとの弥生時代から現代まで

2300年ちょいくらい。あの源氏

物語の平安時代から1000年ちょい。

どこにも「万年」はない。単位が

違うくらい古代の人類は大過去だ。

縄文の終りからでも、現代までの

時間は縄文時代の7分の1くらい。

その頃のことがわかっていない

のに、たった遺伝子の情報ひとつ

という方法だけで多くのことを、

また確かなことを求めるのは無理

だろう。

その人口減少の情報が火星で化石

になった火星人の情報だったと

しても責めるに当たらない。それ

でも通用するくらい可能性と不明

だらけの情報だからだ。

人間の遺伝子情報だけでなく、

植物や動物の遺伝子情報から

でも、きっと有力な情報が得ら

れることと思う。そうすると、

地球環境からの類推も可能だ

からだ。

たった1100年前の平安時代に

電車も地下鉄もなかった。

近代の文明スピードの速さは

異常だ。しかも、歪めた資本

主義思想と金融資本に支配され

て、さらに科学的思考も知らな

い科学者たちがわんさか生まれ

る近未来において、この先走り

傾向はまだまだ続くのだろう

から、僕らはその対策が急が

されるハズなのだが、近隣から

声をかけられたことはありま

すか?

戦争で破壊されるかもしれない

から360度映写機で文化遺産や

施設を撮っておくというのは、

「邪道」ですか、とか。あらゆる

食物の遺伝子である種子を保存

して、飢餓時代に備える、という

のは最後の手段であって、その

前に種子が育つ環境をどれだけ、

どこにつくればいいのか、と

いうような課題のほうが全体で

考えるべきだと思うのだが、

皆、神経科に通ったり、がん

治療に忙しいのだろうか。

科学者も将来に人類が一部逃避

するために、火星の研究で忙し

くなるのかもしれない。

僕らの意見はいつでも知性から、

認識からの方向で定められた

二極性で行くしかない。くり返す

が、この間のノーベル経済学賞

でも、同じ理論だから提唱した

二人の経済学者に贈られたが、

彼らの論文の結末はまったく

違う方向だったという。

新しい論に賞を贈るだけで、

ノーベル委員会はその結果には

責任を持たない、ということか。

どんな時代のどんな意見も、誰

も二つに分かれ、そこで流行や

趨勢という世間や社会政治・経済

の力関係が絡み合って、どちらか

の意見の方向に舵が切られる。

それが重要であって、その結果は

やはり、よかった、悪かったで

意見は二極になる。

僕らはその時代の常識と動勢の

中で正義とか秩序とか、権威や

評判・評価や空気というものの

中で半ば強制的に、時代に突き

動かされて、どちらかを選んで

進む。この大きな意味での前例

はこれまでも繰り返したし、

これからも繰り返される。

僕らの体の常識ホルモンに促され

て、(俯瞰すれば)同じことを

くり返したい欲求に身を任せたい

社会体質になった固定化しつつ

ある絶滅予備軍の生物なのかも

知れない、、と思ったりする。


もちろん、これも意見なので

あるから(いつの時代にもあった

人類滅亡論に似て)この真反対

とも言える意見も持っているが、

今は、こちらのほうが的を得て

いる公算が大きいと踏んでいる、

その次第だ。

意見じゃなくて、事実から見える

(俯瞰・想像・検索)ことを信じる。

それはすでに確信していることを

再確認するだけだ。

すると、何が見えているのか、

それは本当に見えているのか、と

初期の自問に戻ってしまう。

あとには膨大な自己への問いが

広がって、・・・・・何も

言いたくない。・・・・


今宵も夜を友にするばかりだ。

(酒と月夜に遊ぶ詩人、李白の

「月下独酌」みたいだ。)

李白の生涯は結婚もしているし、

子供もいるし、宮仕えもして、

晩年に近くは逮捕もされて、

許されているが、青年の頃から

ほぼ一生放浪の暮らしで、豪気

な性格だったらしく、孤独も

笑い飛ばす風だった。

放浪には昔から憧れる。どうやっ

てあちこち旅しながら食ってい

たのか。生活力がなくてはとても

放浪などはできないだろう。

観光ばかりで素敵な暮らしに

見えるのはその身に経験がない

所為だろう。

逆に、妻子がいても、その家を

中心に放浪はできるのだからと、

現代でやってみてできるのは、

ある種の社会適応がある障害者

の一部の人なのかもしれない。

ホームレスは家庭問題から夜逃げ

をした人がほとんどだ。だから、

明るいホームレスもいて不思議

じゃないが、それを許さない

人や制度の環境は困ったものだ。

火星に行ける日は来るだろうから、

自分の子や孫が火星で放浪でき

るように応援してもいいのだろう。

今の技術なら、火星探検の実況

中継ができるだろう。そのため

にはやはり、科学の一部門の

研究者になるのがいいだろう。

地理や植物、生物、環境学者

などなら、思う存分火星を歩き

回れるだろう。

うらやましいかぎりだ。




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