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国の事情2 生きる事情 [事情]

どうも引きこもりの症状が

出始めているのではないかと

観察している。気分ではなく、

考えが悲観的で自分への

被害者意識が首をもたげている。

いつだったろう、引きこもりを

したことはないが、自分は何が

したいのか仕事をしないで8ヵ月

家に籠って追及したことがある。

それは体も心も休息が必要だった

と、今は理解できるが、当時は

ただ自分の将来を考えようとした

つもりだった。

ブリュゲール2.jpg

ブリューゲル:農民の婚宴

最後には被害妄想が出て、家族が

暗に裏で自分を非難しているの

ではないかという被害妄想が

出て、その危険から仕事を再開

したが、正常な神経に復帰する

のは大変で3か月かかったと記憶

する。(だが、その後の負の運命

(気)を背負わされていたので、

それを清算するのに生活は4重苦

になり、終わって解放されるまで

5年もかかってしまった。これも

どこかで書いた)

なので、僕はウツ症状も引きこも

りも、被害妄想も全部表層体験済み

なので、病気になることはなかった

が、その酷い心理状態は理解できる。

今は生活は分断されている。

起きているのは、午後から夕方と

深夜で、寝るのは午後10時ころから

2,3時間と夜明け近くから午後まで

と、24時間で2回寝て、2回起きて

という不健康に思える生活なのだが、

コロナ下での似たような日々だった。

寝なくても必要な時の寸前に寝て

しまうだろうし、いつ寝てもいいの

だと思っているから、あまりストレス

は感じていない。

しかし、5年ともなると、以前のよう

に海外へ出たくなる。隠れストレスは

溜まっているようだ。海外が無理なら、

春になったらキャンプでもすればいい。

その点を中心にしてこれからの生活の

プランを朧気に計画するのはた易い

だろう。

考えるとつまらないが、実際に出かけ

てみれば新鮮さを覚え思い出すものだ。

手に触れる自然と生活がそこにある。

その時は生き返る気がするだろう。

実際、人はそうして生き返るのだ。


毎日が一本調子で同じくり返しに

思え、退屈な感じがするのはその

前哨戦だ。それが煮詰まり始める

と鬱が現れ、危険な兆候が出始め

る。そこまで行くと遅いのだが、

回復にも時間がかかり過ぎるから。

でも、仕事のルーティンをしてい

るうちに、気の運命期間も過ぎて、

必ず解放が訪れる。

僕には特別な動機を払拭するため

に5年もかかった。

こんなことはつまらないことで、

今までは避けて書かなかったが、

今はきれいな水を求めていない

所為か、多少泥が入っても飲ん

でしまうように、書いてしまっ

ている。無自覚ではない。

荘子が?老子か?出世するより

も泥の中で遊んでいたほうが

いいと言って、実際山の中に

隠棲したような気分だ。

自分が崩れ、壊れるほどに

開放した気分とでも言うのか、

定年後の楽しみだろう。

何が楽しいかって、なにもする

ことがなくて、それでも退屈して

もいい、という開き直った気分

なのか、それでいいという。

簡単に何かこれ、をしなくては

ならないことが何もない。それを

通常に考えたら、ふつう憂鬱に

なるはずだ。それがならないのだ。

ただ意欲だけはあり、それを発動

すると考えるのは楽しい。実際に

は何もしなくてもいいと考えている。

いや、考えではなく、気持ちでい

るという、生活のやさしさと呼んで

もいいものだ。

そういうやさしい生活をしていると

考え方も変わる。昨日も、交通事情

を信号待ちをしながら、考えてみた。

交通事故は随分減ったのだが、それ

でも30万件以上が発生している。

ただ死亡者数は昔の3万人からは

かなり減っていて、令和3年で

2600人程度。5年連続減少らしい。

安全運転というのは運転の上手・

下手ではない。30年も連続で無事故

の運転手は決して自分の運転が上手

だと思わない人だそうだ。なので、

駐車からバックする時も、子供が

いないか(見えないから)わざわざ

降りて、後ろを確認するという。

スーパーなどの駐車場ではかなり

有効だろう。

問題は焦らない意識だ。譲ることを

損したとか、信号待ちを嫌がって

赤になるのがわかっても、交差点に

侵入してしまうなど、待てばいい

というのが安全運転なのだが、それ

が意識の基本だとは教わらない。

ただ交通ルールを覚えさせるだけ

で理解したとする、感覚の改革だ。

3万人の死亡者数が2600人に減少

したのだから、やればできるのだ。

そこからいじめが毎年増え続けて

いる現象は実際に教育委員会や

日教組などがその気がないことを

示している。それにはその元凶

があるのだ。ここまで世の中が

汚くなってしまったのにも、それ

が蓋をされたままでいるのも、

最近パワハラの事態が暴かれて

いるのはいい傾向だと思う。

そして肝心なのは、わかったふり

という忖度をするのではなく、

わかるまで追及することが大事

でそれまでは保留なのだ。置い

ておくだけで何もしなくていい

わけではない。

例えば、日本人にとってもまだ

難しいのは、性の解放というよう

なことで、それが進んでいるのは

ヨーロッパだろう。なにしろ、

地上波のTVで全裸の放送が許可

されている。向こうで暮らした

経験があるなら知っているだろう。

ところが、アメリカでは自由の国

の割にはそこまで行かず、特別な

チャンネルで許可されていても

さすがに地上波では抵抗がある

という。

ヨーロッパで著名なヌーディスト

ビーチは20以上に上るし、半数

以上は地中海側にある。全部で

どれくらいあるかというと、1000

以上ある。(1000!)場所も広い

ビーチだけではなく、崖や岩場の

狭い場所もあり、パラソルが並んだ

にぎやかな処もあれば、閑散とした

自然を満喫できる処もあり、いろい

ろだ。全裸が義務のビーチもあれば、

全裸でも構わない服装自由のビーチ

もある。挑発行為などを禁止する

様々なルールもある。

ビーチでは自由になれるという主張

があるが、なにかを脱ぎ捨てたとい

う解放感があるだろうし、それが

開放感であり、自由を感じさせるの

だろう。

ドイツ人は裸になるのが好きだと

いう噂もあるが、夫婦や恋人、

親しい友人などという関係では

セックスは娯楽の一部だという

軽い感覚もありそうだ。

それで元イタリア大統領の故ベル

ルスコーニが自宅で全裸パーティ

をしても在任中でもまったく問題

にされなかったわけだ。ただ未成年

の少女が招待されたということで

問題になった。日本では大臣が愛人

が発覚しても辞任に追い込まれる

から道徳水準の違いから意識の差

が浮き彫りになる。

どう考えるべきか、僕はもう決まっ

ているが、これは各人が考える問題

でもあるだろう。

安全運転は自分は下手だと思っている

運転手がしているように、政治も

運転が上手だと思い込んでいる人を

トップにしてはいけないのだろう。

例外なく、強い人間がトップになる

と間違いなく部下は大変な目に合わ

される。それは国民ということに

置き換えられる。

習近平が毛沢東を尊敬していると

公言し、数年前に中国の地図を

アジア全土に広げることを宣言した

演説はまだ記憶に新しい。

毛沢東は政策を誤って、文化大革命

で紅衛兵による大量の殺戮で2000

万人民を死なせたことで有名な人物

ではないか。

頭がいいとされる人物ほどトップに

なった時に自我膨張の運命に見舞わ

れる。

例外がないということがわからない。

誰しも自分は大丈夫だと思う。

それは覚せい剤を数度打っても自分

は中毒にならないと思うのと同じ

で、あり得ないことなのだ。その

怖さを知らない。

僕は精神力が半端なく強いので

ある時期まで自分はどんな状況でも

自殺しない人間だと思い込んでいた。

だが、大鬱になって、その淵まで

行ってそれはただの思い込みだと

悟らされた。

僕に残っていたのは、自分が自殺

したがっているとその光景を見る

だけでそこに影響を及ぼせない

眼だけだった。力を振り絞って

というその力もなかったが、

少しずつ体を曲げるような感じで

だんだんその淵から離れて行った。

それができたのは、19歳の例の

無の体験だったと思っている。

それは自殺以上の深刻な虚しさ

を抱えていたから。肉体が死ぬ

くらいでは何にもならない、と

心にもどこにも(死んでも)

逃げ場がないということがわかっ

た。

そういう人間はいくらでもいる。

そういう人間にとって生きる

というのは奇跡に近い。実感

でわかる。それは左腕を事故で

なくして、五体満足のしあわせ

を実感(現実的な想像)できる

というのに似ていて、人にお前

もやれよという気にはなれない。

死を知るというのは、どうも

そういうことらしい。

またここに戻ってきてしまった。


まだ空は暗い。

ここにいると、感じる。

この感じが素晴らしい。

ここに。

これは幻想ではない。

誰が亡くなっても、他の人

たちが生きてゆく。

どんな意識も消えるが、何か

が引き継がれてゆく。

僕はそういう末裔だと、死に

損なって思うようになった。

そういう意味では誰も死なない。

父がいて、母がいて、子がいる。

それは遠い、遠いはるか数千年

という想いに誘われる。

僕たちはいつ人間になったん

だろう。いつ自分のことを自分と

気づいたのだろう。そして、

基本は自分は「自分という姿・

模様を当て嵌め、組み込んで

ゆく枠(額縁)のようなもの」

だと気づいたんだろう。

だから帰国子女はアメリカナイ

ズされて、日本の学校に適応

するのに苦労する。一部アメリ

カ人意識になったのだ。


気づいていない人のほうが多い

のだろう。なかなか意識は

ひっくり返らないから。

「猿の惑星」の著者は人間とは

なにかを訴えたかったらしいが、

その原点が「戦場にかける橋」

なのだろう。AMAZONで古い本

なので3000円するのに驚いたが、

先日の検索で廉価で非常に良いと

いう評価の本が1冊だけ出ていた

ので、早速購入した。

まだDVD「戦場にかける橋」は

借り放しで観ていないから、これ

も観るとしよう。



夜は更けゆく。

君はどこで何をしているか、という

詩を書いていた頃を思い出す。

僕は ここに いる


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ちくわ

毎日が一本調子にならないように、
たまに変化球を投げるように気を付けています。
知らないミュージシャンの音楽聴いてみたり、
本読んでみたり、映画見たり、
旅してみたり、勉強してみたり、散歩してみたり…。
そんなことをしていると、
新しい発見や気づき、新鮮な経験があったりしています。
そんなことをしていると、
まだここに居てもいいだな、
まだまだここに居たいな~、
なんてことを思います。

by ちくわ (2024-03-17 13:13) 

ようしゅう

旅はいいですね。
旅はいつも一人でするのが贅沢なことだと思っています。
最近は、もうひとつ人と話すようにしています。どれだけ
自分は人と違うか、ということを人は隠して、相手に合わせて
話をするのが慣習になっています。
時に少しだけ、それ変わった意見を入れて、相手の反応で
何を想うか、どう考えるか、それがわからないのが面白いです。
2,3年して気がついたりしているので、僕らはどうも社会会話
をしているが、なかなか人間会話はできないようです。
友達でも相手のプライドには触れませんよね。
僕は笑いながら疑っています。信じる処を間違えなければ、
そうそう誤解はしないです。
動物や植物や宇宙になると、それこそ興味が尽きません。
一日は短く、世の中はどんどん変わってゆくのが見えます。
今日も公園の林内で20分くらい読書をしてましたが、
樹のこすれる音や森の匂いが新鮮でした。人の五感は
素晴らしいのに、未発達なままにしておくのは勿体ない
ですね。3分も同じ物体を見続けると、世界が変わること
もあるのを、誰も言わないし、教えないのが不思議です。
by ようしゅう (2024-03-18 01:47) 

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