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その疲れは独自のものか知る必要がある 賛成?反対? [疲れ]

壁に張った日本地図(近畿地方)

を見ているとその森や林、その

沿道、山並みが想像されて、旅行

に出かけたいと思う。それは僕の

健康かもしれない。

神経障害のことを詳しく知ってい

るのではないが、自分の心の事情

はよく知っている。

読書計画を立てた。

今度の読書計画は無理のない点で

よくできたと思うので、挫折は

ないだろうと思うのだが、現実は

ストレスに晒される。今回は身に

染みてわかる気がした。

まず根底に、過去に埋没したくな

いということがある。

例えば、こうすれば成功、資金や

金儲けができる、その秘密を大公開

というのが一番危ない。株やその

罫線でという投資したりする方法は

ひと昔前はそういう手の本は書店に

並んでいた。私はこうして株で稼い

だというものだが、こうして本に

なるのは最後の手段だからだ。

それで儲かるなら人に教えるはず

もない。自分でそれを続けている

に決まっているからだ。そんな

方法を知りながら本にして人に

教えるお人好しは投資の世界には

一人とて絶対に居ない。

それが本になるのはその方法では

もう大して勝つ見込みがなくなっ

て来たからだ。

知識は最後に排出されるものなの

で、その人のカスとして書かれる

のだ。それはもう役目を終えて

死んだので知識に加工されたのだ。

どこかへ行って紀行文などが書かれ

るが、ほとんどが観光案内みたい

なもので旅の醍醐味というのは

その人が味わったものでしかない。

また、それをうまく書ける人もい

るが、それは文章を読む楽しみに

費やされる。違うのだ、実際の

楽しみはその人だけがわかって

いるもので、どんなにうまい説明

や表現でもその驚きや感動はほぼ

伝わらないのだ。それはなぜか、

現地に居ないからだ。現地まで

自分の体を働かせて,そこまで

行ったのではないからだ。

その時の空の明るさ、空気の爽や

かな感触、水の冷たさ、いろんな

植物や生物との邂逅や感動は、例え

ば、猫や犬は飼ってみないと、その

苦労も可愛さもわからないよね、と

言うのと同じだ。

現地でも猫を飼うのでもそれまでの

経過をすっぽかして、それを味わえ

ると思うのは、空想的な頭の勘違い

で、何を読んでもいいが、それで

済むと思うのは何かを見落として

いる。

観光地へ行って観光してきたのは

絵葉書を辿ったのに似ていて、

多少その現地の空気などの経験が

あってそれはガイドブックを読ん

だだけよりもマシだという話だ。

それはガイドブックに載っている

ものを観てきたのだから、本の

画像や写真を比較したことだ。

それは本当は何だったのか、と

いうのは違う。

例えば、僕は北アルプスの万年雪

の氷でかき氷を作って山で食べたら

うまいだろうに、とそのシロップを

持参で雪渓まで夏に登ったことが

ある。まだ登山の素人だった頃で

雪渓にたどり着いてすぐにわかった

のはかき氷などとんでもないという

話だった。

寒いのである。標高が高いので空気

の薄さもさることながら、雪渓の雪

が残るぐらいだから、涼しく、やや

寒い。氷などは体が冷えてしまって

食べたい気はなくなっていた。あれ

は夏の下界(地上)だから言えた

ことだったのだ。

歴史に興味のある人はそれを見に

行く。ほとんどそこへ行くことに

夢を描いている。すると、見たい

ものが見えただけではない、何か

を見る時もある。その建築などの

物に食い入って見るから、見える

物が違って見える。

なぜかわからないが、僕らの新

発見というのはそういう素直に

ものを見つめてしまう人から

発見されている。

それは学術的な発見の話でもある

が、それだけではない日常の経験

の話でもある。



読書の話だった。

休憩を一日入れてたったの4日だっ

たが、もうガタが来た。初めは

慣れないからだろう。が、もう

ストレスで予定とは別の本を読み

始めたり、4日目には読めずに、

漫画を見始めた。

数十年も読めなかったものが、

すぐに読み始められることは

ないようだ。と言っても、始めた

ばかりなのでもう少し慣れるまで

続けよう。

しかし、この拒否反応はなんだろう?

発熱を感じ、測るが36,1℃しか

ないので平熱だ、が、発熱手前の

微熱による熱っぽさがある。これは

無理をするなという、いつもの体の

警告で無視すると、これまでえらい

目に会って来た。なので、未知の

調整がまた始まった。こうなったら

どうするか、という手順はこれまで

の経験からいくつも重ねて知識に

なっているはずなのだが、実際は

経験の明らかにまとめられるパター

ンの数は少ない。

風邪を引くてそれを調整にする例外

じみた本を読んだことがあるが、

体質が違うのだな、というのが結論

で自分の体は自分で調節しなければ

ならない。僕はろくでもない医者の

誤診につきあわされた経験が多いの

で特にそう感じるのだろう。

読書をすると知的好奇心が眼を覚ま

すといったような心の変化を感じる

が、それが直ちに今はストレスに

つながっている。これが僕の場合

体質的な首・肩の凝りにとどまらず

精神的な疲れ(主に狭くなる考えや

固執する気持ち)を引き起こす。

その集中が無理を気にしさせなく

するからだろう。

知性は僕にとって、両刃の剣なのだ。

この仕組みがわかれば自分でも神経

の統御ができるのかもしれない。

:(これ、以前にも書いた気がする)



そういうヒントは多い。そしてまた

毎日、多い。

誰か医学知識のある研究者に伝え

れば、そこからの長期になるだろ

うが、研究成果が出れば、ノーベ

ル賞も夢ではない、という妄想も

長きにわたるが、止むことはない。



そこに人がいる。だからといって

それが人間ではないとは誰も思わ

ない(漫画「寄生獣」からの思い

つき)。作者の寄生獣への同情へ

の考え方・気持ちがよくわかる。

・・・同じ生き物か、・・。
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