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ロボティクスの向かうもの [ロボット]

僕らはどこにいるのか

この台詞はどこから来るのか。

なぜくり返し、出て来るのか。

しかし、少しだけ新しい。それは

いつもは「僕はどこに~」で始まる

のだが、今朝は「僕らは」と自分だ

けではない複数の自分から始まった

からだ。その理由がわかるわけで

はないが、それは僕の自分から発し

たことではないとがわかった。

僕らはなぜ一緒にいると思っている

のか、感じているのか。

こういう書き出しは想像もしなかっ

たので、この新鮮な朝のようにまぶ

しい。

朝は4時から起きていようと、画策

して4日目になるのだろうか。そう

決断した理由さえ忘れてしまった。

やがて思い出す事項なのか、忘れた

ままになってしまうのか、今は考え

たくない。

自分が思っていることをどんなに

つまらないと思えることでも、吐き

出すことは一種快感があるのは不思

議だ。自分とは、少しでもいいから、

どこかで格好をつけたり、ドヤ顔を

見せたり、自分はいい奴だと見せた

がる性格らしい。

そこではなんでも理屈をつけて、

それなりに犯罪者ではなく、ふつう

に不特定多数の一般社会の一員だと

言っているようだが、どうもそれを

認めてもらいたがっている微細な

意識がちらちらするようだ。

心に鏡があるのか、そういうもの

を写し取る機能があるのか、人間

の空気を読み取る僕らの反応は

一歩引いて観察すると、そこには

独特な見えないものの流れがある

ようで、それは皮膚からの信号な

のか、心臓の振動や響きからなの

か、顔の表情・声から伝わるもの

なのか見分けられない。

ロボットも人間に近づくほど感情

的な表情を見せるようになれば、

同じように空気を発するのだろう

か。それはないと思えるのだが、

想像でもそれが実現したとして、

そのロボットがした行動の意味は

なんなのだろう、と逆に思って

しまう。

犬は人間に飼われると笑う顔を

つくるし、子猫のドヤ顔も見た

ことはあるが、それが人間の気

から吸収した反応の知識であれば、

ロボットも同じようにできても

不思議ではないことになる。

ロボットが笑い、ドヤ顔をすると

いう状況はまだないので慣れて

いないので、場違いな芸当に

見えるのだろうが、慣れたら、

犬猫のそれを嗤うように気になら

なくなるのだろう。   4 . 14


ロボットは昔はよくわかったもの

だった。それは機械でよく動く

仕掛けの人形だった。

現在では少し意匠が異なり、ロボ

ットは人工知能を搭載した人間並み

の反応ができる体の機械人間まで

進歩した。

犬のロボットはそれの飼い方によっ

て性格が形成され、やさしく飼えば、

従順でよく言うことを聞く犬に、

邪険に扱えば、反抗的で噛み掴ん

ばかりの悪い犬に、とプログラム

されているが、それは人間との関係

しか考慮されていない。犬がどう

考えるか、飼い主との相性はある

のかという、また犬の人の100万倍

利くという鼻の特性についても、

考慮はされない。当然、知られてい

ない犬の感覚については0に違い

ない。それは自然な犬にはなにかが、

大事な何かが欠けている。

そこでAI(人工知能)のロボット

の知的な計算の優秀さに目を奪わ

れているが、僕らは神経障害の

原因を100年前から突き止めて

いないで、向精神薬という症状を

軽くする、抑える対処療法の薬を

開発することで誤魔化しているが、

自然消滅したノイローゼという

時代の流行病もそのままで今日に

至っている。つまり、AIの場合は

バグとか言ってボカすのかもしれ

ないが、脳が人間に近づいたのなら、

それが本当なら、その障害も出る

はずだ。それは機械だから心配ない、

と言うのなら、それこそロボットは

人間にはなれないと言っているよう

なものだ。そして、問題は浮き彫り

になる。計算を間違えないロボット

は人間ではないと言っている。

自分という心理的な防衛機能を

組み合わせたら、ロボットはいつか

暴走する可能性がある。それは人間

の歴史が証明している。

それでは人間のために働いてくれる

ロボットの役目は果たせない。

なので、ロボットを人間と同じ自分

を追加で機能させることはできない。

これがロボットの矛盾だろう。

ロボットに自分が加わったら、彼は

「私はなぜロボットで人間ではない

のか」と初めて悩むことができるだ

ろう。「自」ができたので、対立し

た「他」を創出することもできた

のだ。そこからその比較が発見され

て、抽象化して問題をも創出でき

たのだ。

しかし、AIの関係技術者たちは、

いかにロボットを人間化するか、

感情を持たせるには?人間性の

感覚を発揮させるには?と方向性

を考えもしないで、発見し、発明

しようとしているのではないだろ

うか。人間と同じ人間コピーを

ロボットで実現させることは、

学問的価値はあるだろうが、それ

を行動する機械に組み込むことは

書いた通り、矛盾なのだ。

矛盾というのは森羅万象の世界を

参考にする限り、解決すべきもの

かどうか、どうもついにわからない

ものだ、が結論のようだ。

解決することで、その枝葉で、また

その別の幹で新しい矛盾を発生させ

る培養器のようなものが矛盾という

もので、それは自然のシステムだ、

と言いたいようだ。

だとしたら、それはものごとの解決

の完全解決は不可能だということで、

都合のいい所を妥協して部分解決す

るしかない。

だから、文明はそうやって、知識

ばかりを膨大に増やしたため、それ

を一分野でまとめて扱えるように

とそれぞれの専門家を増やさなけれ

ばならなかった。そのうちアナログ

ではビール瓶の栓の開け方を教わる

のに、日常教育という課目さえ

設定されて、教室で栓抜きの道具

を初めてみる子供たちの眼が輝く

のかもしれない。

未来は栓抜きなしでビールは

飲めるに違いないから、栓抜き

は骨董品なのだ。そうすると、

それを習うのは近代歴史の日常課

になるのだろうか。


発達障害者の数学の天才でもあっ

たユダヤ系ハンガリー人エルデシュ

は数論、組合せ論、グラフ理論を

はじめ、集合論、確率論、級数論

など幅広い分野で膨大な結果を

残した。特にセルバ―グとともに

素数定理の初等的な証明を発見し

たことは有名。

彼は生涯で500人以上の数学者と

その数学者の家で共同研究を行っ

て1500篇の論文や共著を発表した。

しかし、彼は電車にしか乗れなかっ

た。共同研究する数学者の家の

最寄りの駅までは行けたが、バスに

もタクシーにも乗れなかった。迎え

が来るまでひたすら待つのである。

あとはその数学者の家で問題を解く

まで住み込むのだ。問題に懸賞金

があってもそれを相手にやってしま

った。また次の数学者の家に行って

暮らすのでお金は要らなかったのだ。

抜群に抽象思考に優れていたが、

行動に結びついた現実思考はできな

かった。相手の数学者にからかわれ

て、缶切りと缶詰を渡されるのだが、

彼は缶切りを使って、どうやっても

缶を開けることができなかったのだ。

これは僕らが当たり前に缶切りで

缶を開けるには、単なる思考だけで

は体への応用ができないことを示し

ている。だから、もしもAIが脳の

機能だけで済むと科学者が考える

のならば、それはなにかが欠けて

いるのだ。それは行動に結びつく

思考との関係ばかりではないだろう。

AIはある意味で一種の天才だろう

が、それは人間としてはいくつ

ものなにかが欠けた、知を孤立させ

た欠陥品なのだ。


僕らは どこにいるのだろう 

僕らは どこに 向かうのだろう 

これが 感傷なら 

気が 楽なのだが
             4. 25



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