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仏教の分岐点と日常の接点というもの [仏教と日常]

光があった。その前に書いておく

ことがある。 

欲をかくのは生きている証でも

あると思う。かき過ぎると体も

心も壊してしまうので元も子も

ない、とは昔から言われている

ので、断ることもないだろう。

それをかくのは、やはりかける

だけの余分な意欲が体を駆け巡る

時期なので、思春期は始まりなの

で、狂気にも思える。

そういう過渡期が過ぎても、僕ら

はここでこれを足そう、とかもう

少しとかなにかを余分に得ようと

する。それが余分だとか、本当に

は必要ない物だとは年齢を迎え

なければ悟ることはない。

そして、そういう悟りは自然の

ものだから早いうちに無理して

獲得しておいたほうがいい、

すべきだ、というものでもない。


この世の社会や自然の変幻無限を

感じ取れたのなら、悟りなど必要

ないのが生きることであり、それ

は明恵上人もそう言っていた。

そう、悟りは悟るべくするもので

あって、修行をして厳しい環境を

経験しなければならない、という

ものではなさそうなのだ。

それが必要だと思うくらい生きる

上で苦しみがあり、それなりの死

への動機がある人がすればいい

ものであり、強制したりして無理

にするものではないだろう。

それが特にいいことであるような

考えが広まっているのは、あまり

にわからないことのため、その

理想ばかりがふやけて大きくなっ

たからなのだ。

ブッダの当時のインドの大都市と

いわれる処に住んでいた人口は

微々たるものだった。東京の人口

は推定で1400万人と。ブッダの

頃の紀元前5,6世紀には主要都市

で推定10万人である(たった!)。

単純に東京の今日の140分の1の

人口なのだから、自然も社会も

なにもかも違う。そういう別世界

での「悟り」のなんたるか、とか

効用とか考える端緒も掴めないの

が当然なことなのだ。

それを大蔵経(中国の仏教経典の

総称。日本で漢訳も含め編纂した

ものは全88巻)などの大部の

書物を勉学してもその教えの理

を覚えるにはいいだろうが、悟り

のなんたるかには踏み込めなく

て、これ当たり前の話なのだ。

深遠だからではない、初めから

遠くて、わかりようがない。



当時と言っても紀元0年に近づい

てからだが、バラモン教が復興

して、バラモン法典の最高と言わ

れる「マヌ法典」が編纂された。

仏教は未だブッダの教えを記憶

して年に一度か皆で結集して

誦経していたが、さすがに焦り

があったのかもしれない。

優秀な賢人たちが集まって、

または個々人かも、ブッダを

乗り越えて仏教を悟りから衆勢

を救う有難い教えにしようでは

ないかぐらいにまとまったか、

考えたのだろう。

大乗仏教と名付けられたのも、

初期の仏教を小乗と卑下して

命名したのもそういう処から

だろう。で、仏教は廃れた。

本義ではなくて教科書として

庶民的に多くの神様を取り入れ、

概念処理され、読みやすく

思念で理解できるものになった。



紀元後からはブッダの意識から

も教えは離れて行ったので、

ますます悟りはわかりにくく、

遠くなっていった。ただ崇拝の

念から理想化が進んで、人間の

最高の境地とか神格化された

のだ。一種の流行で多くのこと

が歴史ではそういう道を辿った。

そういうカスの話は終わろう。



洗面所で洗顔していると、玄関

の框(かまち)に光が入った。

光線が見事に射して、「光が

入った」と思った。もとより

玄関が開いているはずもない。

それどころか、洗面所からは

壁一枚あるから、框も見えない。

何が起こったのか。確たる事実

が起こったのではない。

光が入ったと思った、それだけだ。

それだけだが、その光が光である

のが如実にわかった。

しいて言えば黄色い光線だった。

洗顔を終えると、迷わず玄関から

外へ出た。気持ちよかった。

外気の爽やかさ。いつもと同じ

なのだが、いつもと違った。

わかりやすく脚色すると、見る

ものすべてに意味があると思えた。

ものの語りかけが聴こえるようだ、

というのは脚色のし過ぎだろう。

だが、僕の心には確かに響いて

いた。光はあった。



遅咲きなのか、カキツバタもあっ

た。4m道路の灰色もあった。

駐車場には砂利があった。乗用車

もレンタル倉庫もあった。変わら

ない住宅地の光景があるだけだっ

たが、なぜか懐かしいのだった。

そう思い出してみると、あれは

慈しむような気持だったろう。

それは今のこれからであり、これ

までだった名残りでもあった。

だから、“すべてがひとつ“という

おかしな矛盾したことが言えて

しまうのだろう。それはすべてが

ひとつにまとまることではない。

ひとつの中にすべてがあるのでも

ない。

僕らは「ここ」に、「ここ」のそこ

にある。そこから始めなくては何も

始まらず、数千年でもこれまでの

ように同じことをくり返す。現に

今もそうして来ている。

お寺の坊さんみたいな話になって

来た。口で喋るのは難しい。

手品はいい。種はこうだと明か

せば、誰でもそうだったのか、

と納得して何が不思議だったの

かも忘れてしまう。平和だ。

理屈を精確にしようという作業

は誰がやっても剣呑を生む。



そう言えば、マーシャルの

「経済学原理」にも、(「雇用・

利子および貨幣の一般理論」の

ケインズが批判したが、経済学

理論それを継承もしているという)

その初版への序文にも連続性の

原理が因果の説明になり得るし、

ユヴァル・ノア・ハラリの

「21Lessons」にも「はじめに」

で、宗教や政治や人種への偏見、

それらに伴う特権・制度による

抑圧に無自覚に加担していること

を暴くことが重要視されている

こと、しかし、それは現実的な

企てなのかと疑問を呈している。

::

「私の視野をはるかに超える世界、

すっかり人間の手に負えなくなっ

ている世界、あらゆる神やイデオ

ロギーに疑いの目を向ける世界で、

確固とした倫理的基盤をどうして

見つけられるだろう?」::

とまさに初めに書いている。

倫理的基盤とは人間らしい基礎と

なるもののことだろう。

それなら、紀元前5,6世紀から

ブッダも孔子もソクラテスも試し

てきたではないか。どうして僕ら

はそれが必要だと考えるのだろう

か。それはそう考えることが、これ

までを踏襲することなのではない

だろうか。だとしたら、くり返し

になっているだけだろう。


この手の話に終わりはないから、

適当に切り上げる他ない。これ

までの流れの中からヒントが

見つけられれば幸いである。

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