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形而上の森を見て気づくこと [形而上]

形而上、である。それが形のないこと

の謂というならば、どうして無形而上

にならなかったのか、漢字の訳に苦しむ。

が、苦しんではいない。軽く疑問に

感じる程度で、だからどうってこと

はないのだ。

形をもってそれより上なるものを

形而上と言ったそうで、それは道(剣道

や茶道など)や時間のように形のない

ものを言った。形而下というと形に

触れて目に見えるもの、物質でできた

ものを言って、器などのことだ。

この上なるもの、下なるものの決め方

がくせ者だと思う。これは天地人の

ことで真ん中の人から上を天、下を

地といった比喩と同じで、空に絵を

描く思想とか、土をこねて作る器と

いう比較だろう。

しかし、形而上学には少しの勘違い

があり、それはアリストテレスの

「メタ・フィジクス(自然について)」

を井上哲次郎が明治に訳すときに、

これは形而上の語を使うのがよかろう、

と使って形而上学が誕生した。

中国では同じころ、玄復という思想家

がそれを玄学と訳して流通し始めてい

たが、日本から「形而上学」が入ると、

歴史は皮肉で中国でも「形而上学」が

主流になってしまった。

(日本があまりに西洋の語を訳す漢字

を作ったので、今の中国の漢字は60%?

くらいも日本の漢字を使っていると

言われる。日本は中国文化の真似とか、

言われる筋合いではない)

かくして、形のない学問は思考とは

一般には反対の確固たる形から定義

されたので、意味がわかりにくい

名前になってしまった。

井上という哲学者は、失礼ながら

二流だったのだろう。形無しを

形而上と言うのは理解しづらいと

は考え得なかったのだから。



と、どうでもいいことを書きながら、

ここまで来たらしいが、もう夜の

更なる時間でありながら、起床から

は6時間しか経っていないので、今

いち頭が回っていない。

「どうする家康」を観てからは、

他のドラマでもどする、とTV画面

を観ながら解説する癖(半ば独り言)

がついてしまった。

どうする?これから、である。布団

の上時間が長いという寝過ぎなので、

14時間か?眠気が強い。


形而上で思いつくのは、思想や哲学の

観念・概念論のことである。現代の

欧州の哲学者でこれだと記憶していた

本が異なっていて、それが載っていな

かった。「箸について」書いたもの

だったが、箸の機能論で、哲学的な

理論的表現になるものだった。それは

なるほどこういう言語空間も作れる

のだな、という巧みさが見受けられ

たが、不足の違和感を感じる。

それは機能だけで、歴史がすっぽり

抜け落ちていることだった。箸が

どうして日本で定着したのか、それ

は東南アジアでも中国でもいいの

だが、書かれていないのだ。ちょう

ど頭脳の解説を聴きながら、頭蓋骨

の話だけなので骨よりも中身の脳の

作用のほうが重要ではないか、と

読み手に感じさせてしまう点だ。

観念論はその欠点がそこにあるのは

言われ続けているが、理解が十分

とは言えないのが、僕らはそういう

思考や思想を読んでも、それを

自分なりの、しかも観念論の陥り

がちな大雑把にして大風呂敷の概念

でそれを包もうとするからだ。

その思想が書かれるための数段階の

理論的な世界観をまるで、それが

平原にだだっ広くあるように、平坦

な観念にして語ってしまう。

もともとのその思考本がある範囲に

ついてのことが書かれているだけな

のに、それを自分の実存とか理とか、

世界にして語ってしまう。それでも

まともな青年はそれが誤っている

こともある、と知の恥じらいを込め

て述べているので、まだしも健全で

ある。これが堂々と、絶対な感覚で

語られたら(衒-テラ-い、という)、

誰も見向きもしないだろう。

例えば、頭蓋骨を語って脳を語らな

ければ、肉体を語るのに内臓や筋肉

その血流組織などを語らず、骨格

ばかりを語るのは、概念論で人間

を語ろうとするようなことに陥る

だろう。

お互いへの理解が滞れば、誤解し

たまま事態は進まず、動かない。

しびれを切らして、喧嘩になった

りは、なるほど時々見かける光景

だろう。

大勢が関わる案件で起きた事件を

解決しようとして、こういう条件

なら相手も納得するだろう、かも

しれないという策を提案しても、

それが良好な提案であるとないとに

関わらず、事態は別な方向に進んで

しまう場合が多い。それが相手への

理解不足からの無駄な提案案件作り

になっている。

いい商品だから売れる。これはない。

いい本だから買ってくれる。それ

もない。いい提案だから契約・納得

してくれる。これもない。それは

確実ではないのだ。商売でもこれは

売れると決まった商品はない。まず、

売ってから、商品を作る。であれば、

確実に儲けることができる。

それができるのは初めから、それを

予約してしまうほどに消費者のニーズ

が取れていることだ。それがすなわち、

初めから相手の意図がわかることだ。

日本の外務省の外務次官がアジアの

債務国のデフォルト(不履行)への

提案を巡って、日本が草案を練ったが、

一番の債権国は中国だったので、中国

におもねる形での納得できる金利を

載せて提案したが、すぐに中国と

債務国が独自に二国間で取り決めを

交わしてしまい、他の債権国は取り

残されてしまった。半年もかけた

提案を煉った期間は子供だましの

ように無駄になってしまった。

中国にパイプのない日本が情けない。


頭のいい官僚の欠点は、こういう処に

現れる。役所仕事では国際交流は

開けない。骨ばかり集めても、債務

国も一番の債権国も観点は違う処に

あったのだ。問題は全体を納得させ

るように動くのではなく、中国に

直接アタックして何を考えているの

か、そこから始めるべきだった。

そういうガッツのある、・・・いや

やめておこう、古い体質だと思われ

そうだ。

木を見て森を見ないのもダメだが、

森(全体)を見て、なにがポイント

かを見れないのも、同じように役に

立たない。



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