SSブログ

枯葉の一枚はYESという遊びをしながら [公園]

グー・チョキ・パーと書いて

みても、書けるもんかと開き

直ってみるが、いつもと同じ

雰囲気を壊してみたいだけな

のだ。

そう、今日は題材があった。

座間図書館に寄って、ついでに

隣りの谷戸山公園の小さな広場

で坐ってみたのだ。

パックのコーヒー牛乳を買った

ので、落ち着いた場所で飲もうと。

ここは図書館からの階段を下ると

公園に入った、すぐの場所で、

10人くらいなら子供の教室や集合

をかけられる。公園の全体は大き

く、すり鉢状になっていて、一周で

きる林道がある。そのいくつもの

分かれ道から下に降りてゆくと公園

の底に着くのだが、そこには池が

あり、公園事務所などがあり、自動

販売機もある。ベンチやテーブル

も一番揃っている場所なので、人

も集まっている。

そこへは行かない。近場でコーヒー

牛乳を飲んだら帰るつもりだ。

そうしたら、秋の劇場が始まった。

5m離れた沿道に雪のように落葉

が降り出したのだ。強い風が吹い

たのだろう、小さな黄色の雪が

バラバラと舞い落ちて来る。

長くは続かない、止んでしまう。

また来るか、と少し待ってみる。

すると、今度は呼応したかのよう

に頭の上から焦げ茶の枯葉がバラ

バラと降って来た。

その呼応で思い出したのは、アフ

リカの話だ。アフリカの古老が

子供を連れて葉のたわわな下に

行って、少し待ってごらん、と木

に向かって祈るような仕草をする、

と、木は葉を一枚落として、古老

はそれを拾うと、子供に木が挨拶

して落としてくれたのだと言った、

という話だ。

信じがたいが、柿の木からは20・

30代は信号を感じて頭が痺れたり

したので、樹木に何かあるのは信じ

ている。それで遊びをしてみよう

思った。

YESの答えの時は葉を一枚落とす

こと、と背後の木に言ったのだ。

(そのつもり)

なにか簡単な質問をした。それに

答えるかのように一枚枯葉が落ちた。

しまった、質問が簡単すぎた、落ち

たのは偶然である気がした。

すると、沿道をオレンジのTシャツ

を着た若い男の知的障害者が来た。

声を出してうなりながら来るので

それがわかる。唸り声は人に出会っ

ても変わらず続けるから、障害者だ。

沿道と僕の坐っている広場の間には

植え込みのような数本の細い木が

ある海なら洲のような処があり、

彼はそれを回るように、沿道から

広場に少し入って、沿道に沿って

歩いていたが、そのまま通り過ぎ

なかった。その植え込みを回り込ん

で沿道を引き返すように歩いたのだ。

気まぐれだな、これが障害者の特徴

だろうかと眺めていると、もっと

気まぐれなのか、引き返さず、また

植え込みを回って、つまり一周して

広場に戻り歩いてゆく。

呆れたもんだ、植え込みをグルグル

回るつもりなのか、と。

気にしても仕方ない、が、それを

質問した。彼はもう一回りして

今度は沿道を先へ歩いてゆくだ

ろう、と。すると、葉がまた落ち

てきた。が、3枚落ちてきた。

これは想定外だ。

先ほどから沿道から歩いてきた

別の高齢者が広場に入って来て

僕から3mほど離れたところで

足を片足ずつ上げたり下ろした

り、片腕を上にあげてそれをもう

片腕で支えながら、体を捻った

りして筋肉運動を始めた。

なんでこんな人前でするのか、

理解に苦しんでいると、そこへ

もう一人高齢者が来て、沿道に

すぐ近いベンチに腰掛けた。

僕は少し驚く。

というのは、そこは初めに僕が

坐ろうとしたベンチだからだ。

切断された太い木の幹が2本で

支えていたのだが、それが腐り

始めていてグラグラするのだ。

折れれば転倒するので、奥の

ベンチに移動したのだから。

察するに、その老人は深く

腰掛けていないのだろう。

少しもベンチが揺れた様子は

なかったから。中腰なのだろ

うか、それともよほど体重が

軽いのか、そうしてふと思った。

(これは僕らがよくする意味づけ

で僕らはこの操作で自分を正しい

と信じるようだ)

これらの劇中前後して枯葉は3枚

落ちてきた。だから単純に考え

てもいいのではないか。

一枚はYES だが、2枚はNO、だか

ら3枚はそれ以外だ。それはどう

いう意味か。yesでもないし、no

でもないか、yesでもあり、noで

もある、という。またはyesとno

が同時に起きるか、交互に起きる

とか。

この場合、障害者も老人二人も予想

外なので落ち葉の3枚というのは正解

ではないか、と。

(もちろん、他にも解釈があり、人

はそこに自分の都合にこじつける

知的な癖がある。誰の脳にもある)

それは勝手な解釈だとは知っている

ので、正しいでいいのか、そう聞い

てみたが葉は落ちない。やはり、

独自の解釈なので僕が間違ってい

るのだろう、とも尋ねてみた。

無音。枯葉は音沙汰なし。なるほど

「音沙汰なし」というのはこういう

ことを語源にしているのだろうな、

と暇なので納得した。

葉も落ちない、と思った瞬間、右手

のやや後方で枯れ葉の落ちる音が

はっきり聞こえた。・・そうか

やはり自分が間違っていたか、いや

そんなに当たるなんておかしいだろ、

と喧嘩を売る、誰に?

偶然とは便利だ。どんな状況でも

偶然だと言えば、すべてそれでまと

まってしまう。逃げ勝ちみたいだが

・・。



そうしていると、静かにひとりコー

ヒー牛乳を飲むという趣旨が破ら

れて、気づまりになって来た。

僕の感性からすると次のような推測

ができた::

まず、知的障害者の若いのは、一度

こちらを見ていた。僕の気を感じて

いたのだろう。というのも、知的

障害者の中には感受性が鋭い者が

多く、2年ほど管理人をして世話

をしたことがあるので、僕もよく

わかるのである。彼はそういう目

に見えないやり取りを一人でして

いたのではないか。

老人連中は孤独から同じような

老人(僕)がコーヒー牛乳を飲んで

いるのに寂しさからなんとなく

人恋しさで寄って来たのではない

か、と。

こうして書いていて、もっと強烈

な発見をした。枯葉は3枚落ちた。

そう言えば、集まった人数も障害

者、老人二人で計3人だった。

これが木の予測したことならば、

驚くべき予知能力ではないか!

(!マーク)3つでもいいくらい。

他の見方もできる。予知能力は

なくても、僕の考えを読んで

その枚数を落とした。僕は近々の

未来を過去に見たりする。

なにはともあれ、・・・という、

遊びの話だ、悪しからず、

(というがすべて事実なので安心?

を)と、この「悪し」は古語で、

古語表現が現代でも使われている

例だとのこと。



帰る間際、秋の枯葉の小雪の降る

・・・。黄色い粉雪だった。

nice!(5)  コメント(0)