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あるあるノーベル経済学賞 [経済学]

今日、女房に人生で初めて言った

言葉があった。

「ともかく喋りたくてしょうが

ないんだよ。自分でも嫌になるん

だが、止まらないんだな」

ともかく、TVを観ながらでも、

その感想や意見を自分でも邪魔だ

と思いながらもべらべら喋る。

結婚式から半世紀近くになるが、

これはうちのと緊張関係が少し、

破れて僕が優勢になったせいも

ある。

また、体調の不調が回復して

好奇心も復活して、DVD・漫画・

この世の本の全般・国際ニュース・

諸々に興味が湧いてしょうがない

という状態だからだろう。

うちのは昨日、自転車に乗ってい

て同じ自転車同士でぶつかって

足の筋肉痛になっている。

今晩は卵と豆腐とチーズで以前か

ら僕がそのうち作るといって、

作っていなかった料理を晩の

おかずにした。晩飯とかは20年

以上作って来た経緯があるので、

まず30分で作ってしまうし、

そのレシピも記憶に有り余って

いる。その気になれば、と言っ

てもならないが、料理の新作も

作れるだろう。

フランス料理に入ろうとして、

いや和の食を固めるべきだろう、

と引き返してしまったが、少し、

やっておくべきだったとは、今

わずかにだが、後悔している。

調理もやりたくて始めたのでは

ないから、そこまで懲りたくは

なかった、当時は。

なんでもやっておいて損はないと

いうのは本当で、長い時間のあと

にならないと本当の結果は見えて

こない。

それでも僕が学校の勉強は嫌いで

してこなかったのは、正解だと

思っている。今になれば、なにが

勉強したいか、見えるからだ。

そして、それは学校で教わる体の

ものではなく、僕の視点から本や

資料からの情報を選ぶべきものだ

からだ。

今日も今日で、海老名文化会館の

駐車場を借りた関係で隣の図書館

にも寄ったのが偶然なのだが、

ノーベル経済学賞(根井雅弘:著)

という本を読んでみた。

以前、ブログでその経済学賞そのも

のを資金をもらって、なかった賞を

つくったとしてノーベル賞委員会を

批判したことがあったが、その冒頭

で同じことが書かれていた。

そして、わかったのは厳密には、

ノーベル経済学賞は存在していない、

ということだった。

いや、世界で、日本でもノーベル

経済学賞として、ニュースで新聞に

も発表されているではないか、と。

その通りなのだが、それは通称で

正式名称ではない。正式には「アル

フレッド・ノーベル記念スェーデン

国立銀行経済学賞」というらしい。

これはスェーデン国立銀行が1968年、

創立三百年を迎えた時に、ノーベル

財団に経済学賞を寄せたから、それ

が加わったというように見えたらしい。

実際、スェーデンの王立科学アカデミー

が受賞者の選考に当たっているので、

通称ノーベル経済学賞となってしまっ

た。ノーベル財団の専務理事は言葉

を残している「経済学賞はノーベル

賞ではありません。ノーベルの遺言に

ない。記念の賞です」と。くり返す、

厳密には、ノーベル経済学賞は存在 していない、ということだ。

経済学というのはまだ学としては

これが正しいと言えるほどの成熟度

には達していない。それどころか、

社会の、また人の動きに左右され

やすく、現代では社会学との境界

も曖昧になって来ているように

見える。


小田急海老名駅の北側の広い舗道を

歩きながら、鳩が三羽いて、一羽

が邪魔なのにすぐ前を歩く。鳩は

鈍そうに見えるが、図太いのだろう、

エサでも貰えるのを期待している

らしい。そこで少し、邪険にして

みようかと、ちらっと僕の気が

入った。すると、1㎝くらい羽が

広がって飛ぶ態勢を見せた。気づ

いて、気を引っ込めると、鳩は横

にちょこちょこ離れて行った。

彼らも同じだ。人間とのつきあい

を過去から積み重ねた動物は警戒

心がある。

また、セキレイは気が強く、早く

に慣れ、鳩も慣れたのだろう。

だが、警戒して飛び立つ瞬間は

逃さないのだろう。ゴキブリも

同じだ。人間の動物に対抗する

狩猟の気は一瞬で確実にキャッチ

して外さない。生命線だから。

この人間の気の使い方は、まさに

殺気と言えるもので、それは戦争

の要因の一つになると考えられる

ものだが、それはまた別の機会に。



アダム・スミスの「国富論」は

経済学の発祥と言えるほどに古く、

また経済の法則の初めを示したと

思われている論だが、中身には

分業は人の幸福を奪うものだとも

書かれているらしい(未確認)。

しかし、そんなことは教えない。

アダム・スミスには「道徳情操

論」という厚い本もあって、本人

はそのほうが重要に思っていた

らしいが、「国富論」のほうが

有名になってしまった。

ニュートンも「プリンキピア

(原理=万有引力と数学と天文学

とを融合させた)」が有名だが、

本人は錬金術師で、また贋金を

取り締まる庁で働き、晩年まで

そこの庁長だった。そして、聖

書研究の神学が生涯の学業だと

思っていた。死後残された論文

も聖書関係が最も多い。

人は自分がこれだと思ったもの

ではないもので、有名になったり

する。その人の本意ではない、

それが人生だったりする。

とかくイメージは先行しやすい。

それがマスコミや広告媒体などを

通じて知らされたものは信用なら

ない。

ところが、反対に初対面の人に

対する第一印象はまず外れない。

しかし、その人次第で後天的に

自分で学習してその(多くは)

欠点をカバーするから、付き合う

うちに悪い印象が薄れる。

それはその人が緊張しすぎたり

すると、急に第一印象の正体が

現れる。

見せられたものは仮面でイメージ

で、無心に見たものは真実である

ことがこの世では反対に逆の様相

に見られることが多いようだ。

これは誰もがなんとなく知ってい

る、身に覚えがあることだろう。


簡単な事って 

つまらない 

へそ曲がりは わかりきったことを

どうにか 難しく考えて

それを 謎として

謎解きを 楽しもうと

するかのようだ 

・・・



変人が  増えた  ・・笑

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コメント 4

skekhtehuacso

あたしゃいつも思うのですが、我が国の有名大学には経済学部が必ずあって教授でござい!という人がいっぱいいるのに、どうしてこの国の経済はこんなにひどいものになってしまったのでしょうか?
医学生理学や理工学、生物学、文系では考古学、歴史学、法学あるいは社会学もその研究の成果が各分野の発達・進展に直結しているのに、経済学はそうではないみたいですね。
by skekhtehuacso (2024-04-28 20:50) 

ようしゅう

どうも経済は経済学では動いていないんですね。
学問の成果は知識の宝庫をつくりますが、経済は
僕らが心理的に動かしている部分と富裕層や投資家たちが
動かしている部分が主なものなので、統計などの数字は
実質気休めにしかすぎないようです。
為替が158円行ったら、全部売ってしまうと家では言っ
ていて、言ったとたんにそれがすぐに当たってしまったので、
自分でも驚きましたね。こういう時に金がないので買って
いなかったのが僕の運らしいです、悲。
by ようしゅう (2024-04-29 21:15) 

johncomeback

拙ブログへ ご訪問&nice ありがとうございます。
by johncomeback (2024-05-01 05:14) 

ようしゅう

johncomebackさまへ

こちらこそよろしくお願いします。
by ようしゅう (2024-05-01 22:58) 

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