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フグの話 [フグ]

喋りたい 

ほんとにそれだけなのを・・

思う。

手を、ダ・ヴィンチのような描写

の手を描きたいと思う。

音だけはしている、バッハの音楽

の音だけは、スピーカーから。

音だけを楽しみたいのだろうか。

その演奏者の姿勢や背中の動き

という臨場の演奏はなくてもいい

のだろうか。そんないつもは考え

も思いもしないことを思いつく。

夜に近くへ車で出かけようとして、

雨が降って来たのでやめてしまう。

経済の本を読むつもりのなかった、

しかも明日返却する予定の本を

読んでもいいな、と思うと、喜び

が湧いてくる。それが大層に自由な

行動に感じられたからだろう、それ

をなんと呼ぶのか。その釣れた喜び

のあとにどうせ川に放してしまうの

だ。それをキャッチ&リリースと

言うから「本のキャッチ&リリース」

と呼ぼうか。

五島列島の島生活では、海の魚が

淡水に慣れるか、川の少し上の

砂防ダムの池にリリースしたことが

あった。その海魚が淡水に定着した

のかどうか、確かめられる前に、

コロナで帰り、ついに島に帰ること

はなくなってしまったので、リリー

スで気になるのはそのことぐらい

だろう。



釣りが好きだったらよかったなと

思うことがある。釣り場は探せば

いくらでもありそうだし、半分だが、

自然相手に過ごすには手ごろな環境

だろうからだ。

だが、子供の頃から叔父さんに連れ

らえて従弟と一緒によく海へ行った

が、その時から自分が釣りに興味が

ないのを知っていた。釣りには結構

行くのだが、自分のその無関心な感情

をちょっと他所に置いて、準備に集中

するようにしている。大抵、孫を連れ

て行くからだ。一人で行くのはまれだ。


植物図鑑や鳥の手帳などは持っている

が、魚の図鑑は買っていない。魚は

食料のために釣ることにしている、と

しているが、本気ではない。

ところが魚は最も早くから、生物の

中で面白い習性を現わして見せた種

だ。島の生活でも新しい親子の生態を

発見して随所で感心していた。

釣り糸の先にはエサの中に怖い針が

ついているのを教える先輩の魚(親?)

が初心の魚に実践講義をしたのを見た

こともある。(島の海で)

ある晩、いつ魚は眠るのか、夕方から

ずーっと相模川で釣りをしていて、

大物の鯉、これは糸が切れてしまって

釣りあげられないから釣れると困る、

その赤い鯉についていた黒い若い鯉

が、釣り針のエサを嗅ぎまわってから、

赤い鯉に報せたらしく、赤い鯉が来て

釣れてしまった。と言っても無理なの

で、糸をこちらから切ってやった。

その日の魚たちは午後10時から寝に

入ったようだった。それからはザリガ

ニとか・・・が活動し始めたらしい。

若い鯉はその赤い鯉の子なのか、子分

なのかそういう上下関係にあるのは

明らかだった。魚だけでもいろいろと

社会関係があるのに意外な感じがした。



フグが釣れると釣りは終いになる。

その後はほぼフグばかりしか釣れない

から。島で一体どれくらい続くのか、

試したが、その数は忘れてしまった。

6匹は確実で、うろ覚えだが、13匹

くらい連続で釣ったのではないか。


それは日本で一番見られるクサフグ

のことで、毒があるのだが、大家の

元漁師の人はクサフグは食べられるし、

よく食べると言っていた。どういう

ことか詳しく聴くべきだったが、食べ

ようとは思わなかったので、尋ね逃し

た。

クサフグの子は島の家の前の、幅2m

用水路の川に上げ潮になると潮と一緒

に上って来た。20匹はいたろうか、

小さい。波が引くと後退して、波が

上げるとまた上ってくるのをくり返す。

少し大きくなると5,6匹を連れて親

が一緒に堤防から沿って続く防波堤

の道の脇を泳いでいる。訓練なのか、

慣れさせる教育なのか、そういう

ことは連関して見られる。

歯が鋭いので、引きが遅いと針ごと

呑み込まれ、糸を切られるし、針を

外すのも噛まれる時があるので、

難儀するので、クサフグが釣れるの

はやっかいなのだ。だが、引きは

単純でわかりやすく、タイミング

さえ合えば、その姿を見るまでは

引きの釣りを楽しめる。



クサフグは日本中、どこにでもいる

から、食べられるならば、刺身に

して食べたいが、どうだろう、簡単

な調理をほんとうに研究するほど、

その気になるだろうか。あのナマコ

を最初に食べてみようとした人が

いたくらいだから、クサフグも大いに

食べられて絶滅種になる日が来ない

とも言い切れないだろう。・・・が、

その前に養殖されるのか。


フグ 食えば 

舌が すぐ浮く 

毒の 兆候は 

歯に 刺さる か
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思い出す日本のきっかけ、また惨めさ [インド]

リスト作曲のコンソレーションの

第3番を聴いていると、ピアノを

自分が演奏している姿を想像する。

だけではなく、その自分は鍵盤を

うつろいながら、なにやら思索し

ている、その自分を想像するのが

気分をよくさせるのが意外だった。

ピアノを弾くと思うと、思い出す

のはひとつしかない。50万円くら

いバイトでためた資金があった頃だ。

ピアノの教室に通い始めた頃。

練習曲を弾きながら、世間で言う

ようにピアノを始めるには27歳だ。

遅いだろうということだった。

このままピアノを続けて作曲家を

目指そうとしたが、インドへ行く

計画もあって、少し迷った。

人生の選択肢が一度に来る年とい

うのもあるもので、資金面から、

インドとピアノと結婚はできない

相談だった。結婚は約束を交わし、

あとはインドへ行き、ピアノは

諦めるかだった。

三鷹市のアジア・アフリカ語学院

へ通うにしても1年前の決断が必要

だった。インドという新しい世界

へ飛び込むことがなぜか自分には

必要だという想いが浮かんで、

ピアノを捨てることにした。

半世紀の前の円安は。当時知ら

なかったから為替にどんな意味が

あるのかも知らなかった。

ただその当時、円は変動相場制に

なっていた。対ドルで238円で空前

の円高と言われた。その年、1万

8000件の倒産件数になる見込みと

言われた。

時代の違いがわかる。

固定相場制で対ドル360円時代が

続いたので、238円は相当な円高

だったのだ。今は152円で円高で

騒いでいるが、様々な不況で日本

も力をつけたのだろう。円安に転換

したとして160円、170円でも日本

はもつだろう、と思う。


あの時、インドへ渡航するのは怖い

ことだった。写真で見る苦力の少年

のまっ黒な腕が、肉体労働をしてい

るのにガリガリに細かったのを見て、

行きたくなくなったのを覚えている。

羽田空港だったろうか、緊張して

送迎の人たちとの別れも早々に、

機内でひとりになると一気に海外に

なった。機内はすでに外国だった。

孤独はそのまま空気になって、僕

の体をぴったりと取り巻いて、貼り

ついた。

嫌だと思いながら、注射をするよう

に嫌でも体のためにしなければいけ

ないように、楽しみで行くのでない

ことは初めから知っていたことだっ

た。

あの頃、こうしてインドへの旅は

極度の緊張から始まったのだった。



インドへ渡った1977年の3年後、

1980年の対ルピー為替が28,8

日本円だったので、非常に円高に

感じて、インドでは金持ち気分

だったのを覚えている。インドで

は嘘つきと正直が表と裏のように

インド人民の方向を示していて、

それは基本正直で気のいい国民性が

厳しい貧しさという現実のために

お金は盗られる方が悪い、という

泥棒は悪くない、盗られる方が間抜け

という反面真理を生みだしたものと

思われた。

インドのことを思い出すと、惨めさ

とは何だろう?と反省する。

それは僕がインドで出会った日本人

はインドの貧しさがわからない人

たちに思えたからだ。目の前には

圧倒的な貧しさの惨めさがあった

のだろうか。それはそこに生きな

ければならない人たちの現実だっ

た。現実は厳しいとか、現実は重い

とか言う人たちの現実はそれぞれ

がその国内での比較の事情であって

世界の(当時)最貧との比較をし

た上でのことではない。

日本人はインドでその現実を受け

入れられない。そうして自分たちの

暮らした日本の現状や制度、つまり

は文化の上からものごとを判断する

ことで、その現実から逃れようとし

たのではないか、と今 思う。

これはインドではないが、東京で

東大卒の同年代の男に出会ったこと

があるが、彼は海外ツァーの添乗員

兼現地係員で、多才な男だったが、

現地で男性暴力の性被害に遭って、

性格がロリコンになり、多少歪んだ

ようだった。

インドでもツァー添乗員の男に

出会って、少し一緒にいた。ベナレス

だったと思うが、ベナレスはインド

ではバ-ラ-ナシ-と発音しないと

通じない。日本は「にほん」でも、

「にっぽん」でも似ているが、インド

の国名はバㇵラット(ㇵは気音、小さ

く息を出す)という。

彼はフランスでなにかあったようで、

インドのレストランで僕が音を出して

なにか啜(すす)ると、食事で音を

出して啜ると、フランスでは注意され

ると牽制してきた。ここはフランスじゃ

ないだろ、と突っ込みたかったが、

なにか彼も注意されたことのある言い

方だったので、黙ってしまった。

ベナレスの街を彼と歩いていて、日本

人ヒッピーの夫婦に遭って、これも

書いたが、ハッシッシーをやりに行く

というのに、彼は付いていった。

僕は大麻と知っていたので断って、

先にホテルに帰った。しばらくして

彼が帰って来たが、様子が相当に

おかしく、帰るなりベッドに倒れ

込んで寝てしまった。息が荒く、

大汗をかいている。大麻でこんなに

なるのだろうかと、前後不覚になっ

た状態に恐れをなして、つき合わな

くて正解だと思った。

インドで当時大麻は公園でも子供が

観光客・外国人とみると売りに近づ

いて来る。用心しないと、なにか

日用の道具や小物でも持っていると

盗まれる。ここは生存競争の修羅場

のインドなのだ。

その添乗員だった男は僕が財布を

掏られて取り返した時も、その

掏った女が財布をすぐさま捨てた

ので、僕がそれを拾ったのだが、

彼はわざわざその女に盗みはいけ

ないということを説教していた。

僕にはわからなかった。この貧し

さの現状は彼らが1日を生きるのに

必死さを強いられている。盗んで

も生きなければならないのでは?

と僕には当然な事情である気が

した。だからといって僕は慈善家

ではない。盗られないようにする

が、その罪を問う気がしないだけ

だ。

国の貧しさは国の問題だ。

国民に仕事を与えるだけの経済を

整えるのは国の仕事だから。

彼の道徳観は日本人社会の受け

売りのままな気がした。僕には

どうして彼が添乗員を辞めて、

インドにまで来たかが疑問だっ

たが、インドからネパールに

入る時に僕はお金が足りなかっ

たから、一旦ホテルに戻って

ルピーを取って来ると言ったが、

そのことが彼との仲を決定した

らしい。

後で「君がお金を貸してくれ、と

言ってくれれば貸したのに(どう

して頼まなかったのだ)」と強い

口調で言われた。それは僕が現金

を余裕で持っていて、彼の現金が

減ったら迷惑だろうと思って、

1日の手間は平気だったからで、

彼がそこにこだわる理由がわから

なかった。

なんにせよ、ネパールからは共に

行動をしなかったのは彼も僕も

同様だった。ネパールでは彼は

オートバイでツアーをしている

日本人と共に宿を取っていた。

僕はその宿に誘われず、ひとりに

なり、その晩、夜空を見上げて

悲しい気持ちになった。

一度目の日本を思う寂しい晩に

なった。

これも書いたが、ブッダの悟りを

開いたというブッダガヤに行った

時にヌードルを食べさせる処、

掘っ立て小屋だったが、そこで

日本人の観光客の30代くらいか、

3人連れに会った。注文をすると

20分してもヌードルは出て来ない。

見ると、奥で麺を作る工程から

始めたらしい。これから練った粉

をまとめて切断するのだ。いつ

できるかわかったものではない。

が、それをその三人組は上から

目線でインド人を軽蔑する言動

をしていた。その時も、貧しさ

からだと言おうとしたのだが、

あまりに当たり前なので言わな

かったのか覚えていないが、

たぶん言わなかったのだろう。

言っても無駄だったろう。彼らに

は貧しさがわからないのだから。

インドを目の前にしながら、それ

をそのまま見ないで、自分たちは

まともで格上の人間だと金持ち気分

のままを保とうとするのだ。それ

こそがプライドという自己防衛、

イヤ、自己尊厳なのだが、それは

インドの土着の感覚に身を置きた

くない、現実への反動からなのだ

ろう。


僕は一度日本人をやめようとして、

そうしたつもりになったが、意識

が深く潜るにつれて、天皇への

尊敬が遥か昔のどこかの過去から

甦るようで、日本について自己

から見直す必要を感じて、今に

至っている。

だが、日本は曖昧模糊としている。

アイデンティティにしようという

積極的な気持ちはないが、根は

日本にあるのは間違いない。


それで思い出したが、従姉で

姉のように思っていた人の夫に

なった人が、まだ僕がインドに

行ったその前後に、僕のことを

一度、殊更に、日本人だと言っ

ていた。

その時に不思議な気がしたが、

従姉の母親の葬儀で数十年ぶり

で葬儀場で会った時に、握手さ

れたが、すぐに離さなかった。

他に2,3人握手されて驚いたが、

彼はいつまでも握手したままなの

か、と思わせたので、こちらから

手を放したが、重ねて不思議さ

が残った。

彼にとっての日本人さとは何な

のか?彼から僕はどう日本に見え

ているのか?

普段つきあいがあるわけではない

ので、そのままになっているが、

思い出してみれば、聞いてみたい

テーマがそばに転がっていたの

だな、と思う次第だ。


惨めさにある人は、まだ生存可能

な状態であれば、生きるのに必死

で惨めさは僕らが思うほどには

感じていない。反省する暇も

あまりない。

現実に眼を反らしても、それに

気づけない人の方が惨めだと

思う僕は人の感覚とは違うのだ

ろうか、とそんなことも反省し

てみた。

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呼んで呼んでただ書けばいいもんじゃね [詩]

これは 人差し指の 指紋 

昔の写真機が こうも錆びるとは 

海底旅行に 出たつもりは 

なかったよ 

そうじゃなく   僕は

そう 指紋を 押印したかった 

僕は 緊張すると 

かたまって 動けない 

そんな人間じゃない と 

でも 根拠が  

あるわけじゃないから 

弱い  突然  そう言われた 

過去の 影って 

引きづらないと いけない

ものなのか 

君は 言った 

こんにちわ  歩いて 

では さようなら 

その 回転軸は どこから 

持ってきたのか 

こんにちわ  OW NO! 

僕は なにも 言ってないよ 


カスピ海って  どこに 

あったか 

カルピスじゃ ないよね 

もの憂いな 

はっきりしないもの 

こういう時って 

なにも 言わぬが 鼻 

鼻も 曲がりゃ 

尿瓶も 香(かぐわ)しい

忘れてたよ  丘を 

カットして ぬいぐるみから 

こんにちわ だった 

なんて 甘さに腐っていったの

だろう  枯葉剤 


ゆるい気分の ままに 

させてくれない のかい 

楽し気な 楽器を 並べて 

アルミニュウムを 食べるのかい 

なんて  感じるの? 

その調子って  そんな 

サクサクの 畑の 

掘り返しじゃあ ない 

ヤカンと 湯沸かしの 

交換の時は どうするのさ 


いいから その道端に 

坐って 聴きなよ 

冷蔵庫の バッキンガムを 

冷やした ポークジャーキーを 

そして ヤギの説教を

あの 回廊は 帰ってこないのだろ 

厳(おごそ)かな 

裾から 光が 舞い上がった 

あの 回廊は 

あの 導かれた 記憶は 


もしも 彼女が 行ってしまう と 

言ったのなら 

君は  どうした だろう 

堅い 石板に  なにかを 

祈っただろうか 

崖から 飛び降りて 

海面を 飛ぶのを 

夢見た だろうか 

ここに  立って 

ここに  見上げて 

LOVE あ 上 い 

愛  Away 


なにも 言ってほしくない 

なにも 変わってほしくない 

なにも そうであってほしいし 

そうでなくても いいのは 

どうしてか 

河の 水の集まりに 

聞いて みるのだろうか 

蛍の 死骸に 

尋ねる方法を 

試してみるのか 

OW Yeh! 

こうやって 歩きながら 

ぶつぶつ 質問するのは 

なんのため 

なんでん  かんでん 

君が  必要なものは 

いや、  聴きたくない 

さらし粉で ラーメン 

食ったほうが マシだ 


君の 書いた ナンバーには 

英国の ジャムの 香りがした 

それが 僕に 

銃口を  向けるとは  

家に  帰りなよ 

セクシーな 教本を 

ポケットから 覗かせてさ 

How どうして  デイド ユー 

バラの蕾とは 

活かしてるね 

ハァー 理由だよね 

あんたに ないものは 


どうも エンゲージだね 

マイ マインド 

見たい?  見たくない? 

I ドンと  Want 

時間から  時間を追って 

乗り換えは できないよ 

諦めな  四郎ちゃん 

どうだ  デーイズ 

君が 望もうと 臨むまいと 

かつて 吐きだした期限は 

今 白紙に なったんだよ 


プラペルタ  パラキリタ 

へッ へッ へッ 

へ へー 

スングユリテブ カリコリブ 

ペッカラーノ  太平洋 

ユー キャリアント 

教えちゃろう  デカンタ 

いかんぜな  デモーション 

いい時間だよ  Good Time 

そうは      いつも 

いかないんだよ  

なかなかね    歩いている 

         道だよ 


いい麻紐だよ  Good Marsa 

グラッチェ 

ブラック ダイアモンド 

君が おどけて見える 

おう! ここに いた 

指紋のついた  グラッスィーズ 

いい時間だよ 柑橘系 


オレは 知ってるよ 

日照りの 日々 

砂嵐の One monthを 

食い物なんか 口の中まで 

砂だらけさ 

悪さを するなよ 

口の中まで  腐ったチーズさ 

未来に  残しておけるのは 

なんだろう 

僕は  それだ 

いい時間だ  Good Day 

それを  望むよ 


陽射しには イワシ帽子を 

雨降りには  イルカ・プールを 

君は 歌って 

僕は  リズムを とって 

無人島に 引っ越すよ 

いい時間だ  Good Day 

それを  望むよ 

なぜよ  なぜ 

そのカイトに 乗って 

ものごとは  進むの 

雨は降り  雪は落ちるのに

こうやって  そうやって 

オレオレ  キミキミと 

ものごとは  従順なの 

素直な時って 

なにもしていないのに 

こうやって 来るものなんだ 



いい時間だよ 

これって

それって 

いいもんだ よ 

退屈に 眼玉 

取らせたね 



・・Golden Week って 

・・暇だよな 


・・どうでもよくなった 

世の中って 

そんなもん?




コラムン ::

レッドツェッペリンを久しぶり

に聞いて。けっこうロック聴け

るのに驚いたけど、なんか

Beatles のコピーバンドに

聴こえた。いつの時代か、

考えさせられた。
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ガール・オン・ザ・トレインは女の物語 [映画]

ブログを書くという意味は分かる。が、

時々、ブログを書くことに何の意味が

あるのかという疑問に憑りつかれる。

それこそ <なぜは なぜ「なぜ」

なのか>という、その前提で意味の

ない疑問なのだが、一種の知的ゲーム

なのだろう。疑問のための疑問に興趣

を感じるらしい。

雨が降っている。雪が降ると街は

雪景色になり、興趣が盛り上がり、

白くなった街は幻想的にさえ見える。

雨はそこへ行くと人気がない。

濡れれば風邪をひいたりと、碌な

ことがないから。子供の頃は雨に

濡れるのは楽しいことで、一種

イベントであって、泥んこ遊びを

しているようだった。

土や水に塗(まみ)れることが

楽しいのは昔は本能のようだった

と感じたのを覚えている。

長靴を履かせられたが、その長靴

に雨が入って、また泥濘に入って

バシャバシャやっていると、長靴

の中も水でグチャグシャになるが、

それも面白がった。それが足が

気持ち悪い、という感触に変わっ

たのはいつ頃からだったのだろう。


どこかで見たのだが、子供から

母親、その他学生・青年男女など

公園にいる人たちが全員、発達

障害者かHSPと軽い神経異常者

で、それを掻き分けるように

公園を通り抜けようと駆けるよう

に足早に進むのだが、こんなに

誰も彼もが不定愁訴な病人に

なったのだという想いに囁かれて

いた。ちょっと考えた思いつきで

もあったかと記憶していたが、

曖昧であることから、起き抜けの

夢でもあったようだ。日本も世界

もそんな状態なのだ、とその証拠

を見た想いだった、あれは何だっ

たのだろう。



この間、久しぶりにレンタルで

DVDで「ガール・オン・ザ・トレ

イン」を観た。一度TVで観たのだ

が、そのストーリーは忘れたが、

記憶喪失と心理的な病理があって、

その印象に惹かれ、また観たいと

思った。その雰囲気に惹かれたのが

最も観たいと思った理由だった。

それはその雰囲気で小説を構想して

みたかったからだ。その一種病的で

心理劇なストーリーなら構想する

だけで楽しいだろうと思ったからだ。

「ガール・オン・ザ・トレイン」

はその意味で日常瞑想の嗜好だった

気がする。

しかし、見終わってみると、生んだ

赤子をバスタブで一緒にいて眠って

しまい溺れさせたため死に、その

トラウマで妊娠したくなくなった

主婦が、殺害されるという事件なの

だが、その犯人の元妻がアルコール

中毒から抜けて、記憶を取り戻し

ながら犯人に気づくというストー

リーだった。

その元妻が会社に通っていた列車

から見える家で、元住んでいた家

の隣?の主婦に起こった惨劇だっ

た。ストーリー進行の4分の3で

結末が見えたし、思ったよりも

意外性がなく、心理の興奮を引き

起こす葛藤劇も謎が弱くて、思っ

た予想通りに終わってやや落胆

した。

つまらなくもなかったのはどうし

て?と考えて思い当たった。

これは女性の監督が撮った映画ら

しく女性の映画だった。女性の

子育てや妊娠への不安、男の浮気

やパワハラへの反発というものが

この映画の底の感情にあった。

その視点で観れたので、その部分

で退屈しなかった。

アマゾンのDVDのカマスタレビュー

でそのつまらなさを書いたのが

あったが、いかにも男性の意見だっ

た。彼は犯罪映画として観たので、

それほど謎でも複雑でもない、見か

けの犯罪ドラマとしてしか観なかっ

たので退屈したのだ。女性の視点が

ないという、ふつうの男性評だった

わけだ。

それでこれを男性版の「マン・オン・

ザ・トレイン」のような趣向で構想

してみようとした僕の計画は頓挫

した。嘘ばかりつくのは女性の心理

描写の方がよく似合って味を出す

ので、男性を主人公にした場合、

まったく違う趣向でストーリーも

心理も変更しなければならないだ

ろう。そこまでこだわるつもりは

ないのだ。

この世の男も女も、お互いをよく

理解しているわけではない。だから、

世界の文化が歴史的に女性傾向に

なっても、男性側の暴力傾向が終わ

るのでもない、という決着になる。

身近な男女でさえ男女格差とか、

男女平等とか言っているのは、それ

だけ男女間で互いに理解が達成

されていないことを示している。

それで世界平和とかプラカードを

掲げても、そんな大見得を切る前

にまず解決すべきことが前提とし

てあるんじゃないの?と思って

しまう。



Girl on the world 

Man on the world 

東西の世界のように無尽蔵にも

深い歴史的無理解が横たわって

いそうじゃない?




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君の飛ぶ空はどこにあるのか [飛ぶ]

僕らはたいして考えずに苦しむ

のが上手だーーーーーー。<発達

障害やHSPに近い人は読むのを

遠慮しましょう。>



人がものごとを確信する時は

ある。いくつもそういう瞬間を

通って来たから知っているが、

それはなにかに集中して、そこ

に突き進んだ結果得られた成果、

というものではない気がする。

もっといやらしい背景が僕には

あって、それが歪んだ鍵を握っ

ていて、運命を、しいては人生

を歪ませている気がする。

そして、それが正解でもある、と。

なぜなら、性格が歪んだ運命なら、

人生もそれに沿って歪むのが正し

いはず。だからと言って、本人は

少しも歪んだとは感じていない。

その歪みに沿うことの方が難しい

と感じているようだ。そして、

それを直覚することができないと

も思っている。いつも自分の想定

外に自分を運ぶのを常にしている

からだ。言っているのは、天邪鬼

な性質のことである。


エンゲル係数が高い。学校で習っ

たように生活費に含む食費の%が

高ければそれだけ貧しいと言える。

借金もするし、金利も高いので

すぐに危険な状態になる。生活の

経済的危機なのだが、それさえも、

追い詰められるようになるとなぜ

か腹が坐って来る。

解決はお金を作ればいいのだ。

始め、その方向に頭が動くが、それ

は簡単な解決策に落ち着く。手っ

取り早い方法を求めるからだ。

しかし、その期限に近づき、いよ

いよ切羽詰まって来ると、ひょっ

こり顔を出してくるのはその危機

迫る状況をなめまわすようにして

遊んでやろうという、もう一人の

自分だ。

彼はそういう機会を逃さないかの

ようで、むしろ待っていたのかも

しれない。困難が重なって息も

苦しい状況を想像するが、それは

自分というもう一人の状況であっ

て本人の素(す)はそれをある意味、

楽しむ機会と捉えるのだ。

これは性(さが)と言うか、癖

のようなもので、たぶん、個性と

いう意味で本来のものなのだろう。

ここまで来たら、苦しい自分に

頭を突っ込んで、そこからどう

するかを考えようというつもり

なのだ。

なぜそうなるのかわかる気がする。

それは滅多にお目に掛かれない状況

だからだ。土俵際で俵に足が掛かっ

ている、そんな瀬戸際。

と思っても、それは自分という限界

であって、想像の内であって現実で

はない。現実はそれに向かう力に

比例してその姿を披露してくれる。

気の弱い者は眼を閉じたり、見ても

認めることができない。それが僕ら

の心理的限界だ。

すると、発想が逆転する。その悪い

と思う、例えば車を失うとかを現実

として、その後のことを考えるよう

になる。

それまでは失ってはいけないと思い

込んでいたが、失っても生活は進む

し、なにかが好転するかもしれない

と、考えを広げることができると、

かえって取集選択する余裕が生まれる。

そうして行った判断のほうが失った

らと恐れてする判断よりも客観性に

勝っているのは感覚でわかる。 

ここまで来るとやっと平常心らしい、

落ち着いた自分が現れる。ピタッと

精神が決まると言ったほうがいい

のだろうか、空気が引き締まる。

そして、なんか面白いことが始まる

んじゃないかと、胸躍らせるので

ある。これは第三者が見ていたら、

まずバカに見える、笑。

逆に、狂人はへらへらしていると、

なるほど馬鹿に見えるが、狂人だ

と知らなければ、わざとへらへら

してるんじゃないかと余裕にも

見えるのかもしれない。

だとしたら、今の僕は狂っている

のかも、少しおかしくなっている

のかも、と言えないこともないの

かも、と。


エンゲル係数が高くても、日本で

はまともに食事ができる。栄養と

おいしさを考えて食事ができるの

は、実際貧しいとは言えないだろう。

始め、車がなかったら不便だし、

運転は好きだから継続を考えたが、

車を持つかどうかは選択の問題だと

わかる。気持ちが切り替わっただけ

だ。少し前まで、なんとか車を維持

しようとしていた自分が可笑しい。

なるようにならなければ、なるよう

になればいいのだ。そうすると、

そのメリットとデメリットを比較

する考えに気が向く。正しい判断が

前もってあるのではなくて、そう

いう判断ができる自分がまずあるか

どうかが決め手なのだ。

そうすると、この苦境?をもっと

深掘りして楽しめないかと余分に

考えたりする。そう考えることが

もう、楽しんでいる一部になって

いる。人はよく遊ぶ動物だ。

それで手っ取り早い解決法はまだ

あとに残しておけばいいとわかる。

すぐに解決しないで、なにか新し

い手法を編み出して、その工夫で

解決できたら、素晴らしいと思う

わけだ。手っ取り早い解決法が

最後にやってもうまくいかなかっ

たら、と考えるのはそうなった時

でいい。それまでにいろいろと

試すことができるのだから、それ

をするのが人生の、生活の有効な

使役ではないだろうか。

金がない、その発想はどこから来る

か。それが根本の(実はその一歩

手前の)誤解であり、思い込み・

先入観による問題なのであるが、

それが見えるようなら無駄な気苦労

はしていない。


人の心理的限界は上下にあるように

思う。子供の頃に命の危機になるほど

貧しさを経験すると、その反動で

金持ちを目指す。この時すでに囚わ

れた自分の心理には気づいていない。

大抵、そうして大金持ちになるの

だが、貧の反動が動機なので、どこ

かで転落するのだが、勢いで強引に

やって来たことを自分では認めて

いないので、転落は夢のことだと

思っている。そして、大破産する。

しかし、そこまでの手腕が鍛え

られているので、大半の人は取り

戻すことが多い。これが上の話。

下は、それほどの貧ではないの

に、先進国だと周囲を見て自分

が酷い貧困にいると思い込む。

そこに囚われると、情がからん

で、よほど恐怖から不安に襲われ

る。盲目になってしまうのだ。

それを飢えた状態というのだが、

これは大金持ちの傲慢さがピーク

に達した時にも似ている。色合い

が違うが同じ飢えだ。

その状態にならないと、どちらも

僕らにはわからない。実際、それ

は病気のようなもので、病の経験

はその苦しみの経験の下でないと

実感はない。

日本で落ちている曲がった釘も

見たことはないし、それをバザー

で売っているのも見たことはない。

が、今日の食べ物しか考えられない、

という状況がこの世界にはあるのだ。

拾った釘を売ろうとするまでの、・・。

それを知っていると思っている。


それは僕らには無関係だ、まったく、

全然だ。が、それを知らないことに

は気づけないでいる。気づく必要が

ないほど恵まれた環境にいるという

事実を知らないからだ。


鎌倉や 

お先 真っ暗 

ああ 鎌倉や かまっ暗や

足元の ダイヤの鉱床は 

源氏ボタルの

夢の 中


僕らに衣食住をもたらしてくれ

るのは、周囲の他人・知人である。

僕らの意・気・情を元気に活性化

してくれるのは、精神や心の知恵

と協力と創造・愛情である、他人

や知人はそれを起こす手助けをし

てくれるが、手助けしかできない

のだ。それ以上は恩着せがましい

のだが、それを求めるのも誤解か

ら生じた善意の同情・憐憫である。

調味料は必ず必要だが、腹を満たす

のは主食である。しかし、情という

調味料は死を前にして、主食の役目

も果たすようだ。何に満足するかは

条件付きでその時、またその人次第

でもあるようだ。ーというように

書くのも(読み手の想像に任せる

ことだから、)曖昧で誤解を増やし

ているのだと気を回してしまう。


羚羊(かもしか)や 

ああ 羚羊(かもしか)や

それかも これかも 

これしか それしか 

ああ なんのこっちゃ  笑


どうして真実はこうも意味深

なのだろうと思ってしまう。

ひとはそこから一つの原理や

理屈を取り出してくるだけで

満足してしまう。もしも、一つ

それを見つけたら、それには

必ず複数の反面が無数に存在

する。大きな側面でもいくつも

あるということだが、なぜか

人はそこを拡張・演繹して自分

から見た世界として、それをそれ

でまとめ上げてしまおうとする。

そして、それを枯渇させて、骨

抜きになったものにしてしまう。

哲学という分野がそれだ。


スルメは僕らのおいしいいものに

加工された価値という食品になる

が、いかせんべいとかにもなるし、

だいたいスルメを見てもそれだけ

で、イカが海面を10mも滑空する

など想像もしないし、できない。

それは知識をどれくらい倉庫に

持っているかという量の問題では

ない。倉庫に入れる前にはどんな

生きたものであったか、どんな

生きた事実であったかという「もの」

・「こと」がそこにはあるのだ。

僕らが感動すると涙するのは事実だ。

どうして感動するのか。厳然とした

事実は何を語るのか。

生きたものは死ぬと保存が効かない。

それの本当の意味は見過ごされて

いる。知識は死んだものだ、概念の

死骸になる。本や情報から得るもの

は知識としての言葉ではない。


兄、 語らんや 

豈、 図らんや 

図々しくも  はかばかしくも 

そして バカバカしくも 

聞く耳 持たんや 

リニア モーターカー 

乗ってみたい

ソニア  誰?

「罪と罰」を書いた 

罪びと(自分)だったドスト

エフスキーは 

人の心は広すぎる、もう少し

縮められませんかね、と言った。

他の人はこう言うだろう、世界は

ひろすぎる、宇宙から、植物から、

微生物から、言い方のあれこれや、

考え方の柔軟さや、スカートの襞

の色合いや、格式のどうのこうのや、

屋根の作りの具合が・・や、電気や

光のエネルギーやら広すぎる、・・

あれやこれや、と。



僕はWaiting、待っている。これ以上

はどうにもならない状況を。もしも、

そういう状況が存在するならば(ない

と思うのだが)、それは僕が唯一

期待できる、まったく新しい出来事

に遭遇することであると思う。

それに適応できなかったら、死を

覚悟しなければならなくなるかも

しれない。それはまったく、まった

くだ、楽しくなく、心を苦しめる

事であるのは十二分に承知している。

わかっているのだ、これまでのこと

で、僕は自分を捨ててきたから。



人間の生物としての寿命は55歳

くらいらしい。そこから動物はすぐ

に死に、老後があるのは人間だけだ

という。それはあとにして、僕は

とっくにそれを生き抜いてしまった。

こんなに長く生きてしまうのは、

計算違いだった。

たぶん、多くの世間と異なるのは、

僕が死をよく認め、恐れながらも、

それを懐かしむと思えるほどに

親しい、愛着さえあるという感覚

を持っていることだろう。そうい

う死を恐れない少数派なのだろう。

だからと言って、好きな冒険でも

無理な冒険はしてこなかった。

精神の崖から飛んだことは4,5回

はあったと思うが(死ぬことが目的

だったことは1回半はあった)、比較

できる人も物もないので、僕の心が

実際にどうなったのかは、今も判断

できない。

ふつうに生活している。鳥にエサ

を撒いたりして。



また、ここに もどる 

< 僕は どこに いるのか > 

君は ここに いる 

そうか 

君も そう 想うか


聞いても 

触れも せで

見えない 世界で

空を 

飛びたい 

飛んでみたい、じゃない 

飛ぶんだ

(こんな危険な気持ちはない。。

体の胸からはみ出て外に出た

感情だ 。。

高層ビルから飛んで、夢で見た

ように地上スレスレで滑空して

空に舞い上がる 。。

それができると確信する、寸前

の気持ちだ。。)



Cool down・・、

場所:  自ブン。


オホホホ  イヒヒヒ 
ウフフフ  エへへへ
オホホホ

すべての時間で 止まらない

自由があるのは 違反だろう。

少し、コマを回して時間を潰そう。

カラフルなWay、

単片な緊張、 そのワンダリング、 

止めてみて カワウソの 散歩 

家出少女の 決心 


そのバックドアの キーを回して 

ホ~ ム 

その手紙を 取り上げて 

今 読んでよ 

なつかしい 汽車に  乗る前に 


・・・・・、バ イ
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ロボティクスの向かうもの [ロボット]

僕らはどこにいるのか

この台詞はどこから来るのか。

なぜくり返し、出て来るのか。

しかし、少しだけ新しい。それは

いつもは「僕はどこに~」で始まる

のだが、今朝は「僕らは」と自分だ

けではない複数の自分から始まった

からだ。その理由がわかるわけで

はないが、それは僕の自分から発し

たことではないとがわかった。

僕らはなぜ一緒にいると思っている

のか、感じているのか。

こういう書き出しは想像もしなかっ

たので、この新鮮な朝のようにまぶ

しい。

朝は4時から起きていようと、画策

して4日目になるのだろうか。そう

決断した理由さえ忘れてしまった。

やがて思い出す事項なのか、忘れた

ままになってしまうのか、今は考え

たくない。

自分が思っていることをどんなに

つまらないと思えることでも、吐き

出すことは一種快感があるのは不思

議だ。自分とは、少しでもいいから、

どこかで格好をつけたり、ドヤ顔を

見せたり、自分はいい奴だと見せた

がる性格らしい。

そこではなんでも理屈をつけて、

それなりに犯罪者ではなく、ふつう

に不特定多数の一般社会の一員だと

言っているようだが、どうもそれを

認めてもらいたがっている微細な

意識がちらちらするようだ。

心に鏡があるのか、そういうもの

を写し取る機能があるのか、人間

の空気を読み取る僕らの反応は

一歩引いて観察すると、そこには

独特な見えないものの流れがある

ようで、それは皮膚からの信号な

のか、心臓の振動や響きからなの

か、顔の表情・声から伝わるもの

なのか見分けられない。

ロボットも人間に近づくほど感情

的な表情を見せるようになれば、

同じように空気を発するのだろう

か。それはないと思えるのだが、

想像でもそれが実現したとして、

そのロボットがした行動の意味は

なんなのだろう、と逆に思って

しまう。

犬は人間に飼われると笑う顔を

つくるし、子猫のドヤ顔も見た

ことはあるが、それが人間の気

から吸収した反応の知識であれば、

ロボットも同じようにできても

不思議ではないことになる。

ロボットが笑い、ドヤ顔をすると

いう状況はまだないので慣れて

いないので、場違いな芸当に

見えるのだろうが、慣れたら、

犬猫のそれを嗤うように気になら

なくなるのだろう。   4 . 14


ロボットは昔はよくわかったもの

だった。それは機械でよく動く

仕掛けの人形だった。

現在では少し意匠が異なり、ロボ

ットは人工知能を搭載した人間並み

の反応ができる体の機械人間まで

進歩した。

犬のロボットはそれの飼い方によっ

て性格が形成され、やさしく飼えば、

従順でよく言うことを聞く犬に、

邪険に扱えば、反抗的で噛み掴ん

ばかりの悪い犬に、とプログラム

されているが、それは人間との関係

しか考慮されていない。犬がどう

考えるか、飼い主との相性はある

のかという、また犬の人の100万倍

利くという鼻の特性についても、

考慮はされない。当然、知られてい

ない犬の感覚については0に違い

ない。それは自然な犬にはなにかが、

大事な何かが欠けている。

そこでAI(人工知能)のロボット

の知的な計算の優秀さに目を奪わ

れているが、僕らは神経障害の

原因を100年前から突き止めて

いないで、向精神薬という症状を

軽くする、抑える対処療法の薬を

開発することで誤魔化しているが、

自然消滅したノイローゼという

時代の流行病もそのままで今日に

至っている。つまり、AIの場合は

バグとか言ってボカすのかもしれ

ないが、脳が人間に近づいたのなら、

それが本当なら、その障害も出る

はずだ。それは機械だから心配ない、

と言うのなら、それこそロボットは

人間にはなれないと言っているよう

なものだ。そして、問題は浮き彫り

になる。計算を間違えないロボット

は人間ではないと言っている。

自分という心理的な防衛機能を

組み合わせたら、ロボットはいつか

暴走する可能性がある。それは人間

の歴史が証明している。

それでは人間のために働いてくれる

ロボットの役目は果たせない。

なので、ロボットを人間と同じ自分

を追加で機能させることはできない。

これがロボットの矛盾だろう。

ロボットに自分が加わったら、彼は

「私はなぜロボットで人間ではない

のか」と初めて悩むことができるだ

ろう。「自」ができたので、対立し

た「他」を創出することもできた

のだ。そこからその比較が発見され

て、抽象化して問題をも創出でき

たのだ。

しかし、AIの関係技術者たちは、

いかにロボットを人間化するか、

感情を持たせるには?人間性の

感覚を発揮させるには?と方向性

を考えもしないで、発見し、発明

しようとしているのではないだろ

うか。人間と同じ人間コピーを

ロボットで実現させることは、

学問的価値はあるだろうが、それ

を行動する機械に組み込むことは

書いた通り、矛盾なのだ。

矛盾というのは森羅万象の世界を

参考にする限り、解決すべきもの

かどうか、どうもついにわからない

ものだ、が結論のようだ。

解決することで、その枝葉で、また

その別の幹で新しい矛盾を発生させ

る培養器のようなものが矛盾という

もので、それは自然のシステムだ、

と言いたいようだ。

だとしたら、それはものごとの解決

の完全解決は不可能だということで、

都合のいい所を妥協して部分解決す

るしかない。

だから、文明はそうやって、知識

ばかりを膨大に増やしたため、それ

を一分野でまとめて扱えるように

とそれぞれの専門家を増やさなけれ

ばならなかった。そのうちアナログ

ではビール瓶の栓の開け方を教わる

のに、日常教育という課目さえ

設定されて、教室で栓抜きの道具

を初めてみる子供たちの眼が輝く

のかもしれない。

未来は栓抜きなしでビールは

飲めるに違いないから、栓抜き

は骨董品なのだ。そうすると、

それを習うのは近代歴史の日常課

になるのだろうか。


発達障害者の数学の天才でもあっ

たユダヤ系ハンガリー人エルデシュ

は数論、組合せ論、グラフ理論を

はじめ、集合論、確率論、級数論

など幅広い分野で膨大な結果を

残した。特にセルバ―グとともに

素数定理の初等的な証明を発見し

たことは有名。

彼は生涯で500人以上の数学者と

その数学者の家で共同研究を行っ

て1500篇の論文や共著を発表した。

しかし、彼は電車にしか乗れなかっ

た。共同研究する数学者の家の

最寄りの駅までは行けたが、バスに

もタクシーにも乗れなかった。迎え

が来るまでひたすら待つのである。

あとはその数学者の家で問題を解く

まで住み込むのだ。問題に懸賞金

があってもそれを相手にやってしま

った。また次の数学者の家に行って

暮らすのでお金は要らなかったのだ。

抜群に抽象思考に優れていたが、

行動に結びついた現実思考はできな

かった。相手の数学者にからかわれ

て、缶切りと缶詰を渡されるのだが、

彼は缶切りを使って、どうやっても

缶を開けることができなかったのだ。

これは僕らが当たり前に缶切りで

缶を開けるには、単なる思考だけで

は体への応用ができないことを示し

ている。だから、もしもAIが脳の

機能だけで済むと科学者が考える

のならば、それはなにかが欠けて

いるのだ。それは行動に結びつく

思考との関係ばかりではないだろう。

AIはある意味で一種の天才だろう

が、それは人間としてはいくつ

ものなにかが欠けた、知を孤立させ

た欠陥品なのだ。


僕らは どこにいるのだろう 

僕らは どこに 向かうのだろう 

これが 感傷なら 

気が 楽なのだが
             4. 25



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