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夜も終わりに近づく頃 [カケナイ]

10月16日頃から疲労が始まっ



た話はしたと思う。気がつか



なかったが、僕は非常に夏バテ



するタイプだ。持病もそれで



始まったくらいだ。



観測史上最大の夏日が続いた



のも、夏バテがそれに合わせて



遅れて来たのも偶然ではない



気がする。



改めて調べると、10月15日が



新月で、ひどくなったのが満月の



29日だったので、月に合わせて



具合が悪くなったのが顕著だ。



子供の頃からそれは変わらない



ようだ。



・・・・・・・・・・・・



書けない。



カケナイ。



気持ちいいほど、



かけ(そば)ない。



表現する筋肉の動きを感じた



つもりだったが、いままでそれ



でよかったものが、ない。







アンモナイトみたいだ。(いつもの



なんもないとは違う、なんもない=



充実した闇とは違う平凡な空虚)



書けるという状態が8年も続くと、



それが当たり前になってしまう



からどこかで「書けること」とは



別に一種の義務感みたいなものを



背負ってしまう。



終わらないと思っていた旅が意外



にも宿屋を出たら終わっていたの



を知る、そんな気分。



それはそれで肩の荷を下ろした



ような軽い爽快感がある。



紀行文や観察日記みたいなもの



も書いてみたいので、なにかが



どこかで始まってもおかしくない。



イメージや発想がなくても文章は



それなりに修業したから、文章が



書けなくなるわけではない。批評



の対象はどこにでも転がっている



し、・・。



詩はわからない。



あれは向こうから来るから。





ジャガバタのバターが唇に残る。



朝起きると、あれほど起きる直前



まで小説を何度も書き直し、書き



直し、書いていたのに無意識に



忘れてしまおうとする。空間も



概念も物質化する異次元的に複雑



で不可解になった夢にはもう謎解



きの楽しみはなくなった。そんな



項目のある夢判断はないのだ。



夢が進化するものだとは思わな



かった。



ユングが墓場まで持って行くつも



りだった夢を、誰かが聞きだす



企画をして、ユングも初めは嫌が



ったが、話すうちに興が乗った



のだろう、随分長い本が出来上が



った。「ユング自伝1・2巻」それ



はオカルチックで恐怖とファンタジー



の神話じみたドロドロもある夢の



世界だったと記憶するが、彼は



それを解釈するために世界中から



古代の神話を集めていたのかも



しれない。



僕も同じく、中国の山水画の発祥



を調べ始めている。



ユングの本は10冊も持っているか



と思うが、例によってまともに読ん



だ本も、読み通した本も皆無だ。



ただ、「無意識も意識だ」か「無



意識という意識はない」のユング



の短い言葉で無意識の在り方を



直感出来たので、大きい発見だっ



た。



水道を温水にして、洗顔などする



が、冷たい水のほうが皮膚には



良いのかと迷いながら、上高地の



梓川の氷よりも冷たい?水を思い



だす。



なにか夢や希望のある言葉を探すが、



特に何も出てこないのを確認する。



それを常識でカバーして修飾を



書こうとしないのはいつもの



通りだ。



どんな日常の事実にも僕らの思考



の幅、予想や予感を超えた性質や



状況などの要素を必ず含んでいる



というのが、信じられるからだ。



それがこうして辿り着いた生活なの



かもしれない。



まだ、バターの匂いの唇が気になる。


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