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不定愁訴という心理と隠された戦後 [現代の文明]

不定愁訴は昔は未病と言われ、病気

ではないが病気になりかけている、

あるいはその手前の状態などと言わ

れた。

しかし、今やアレルギーや軽度の

神経障害・精神障害の患者が80%

はいると思われる現代日本で、この

指標は役に立たないだろう。精神や

神経内科に通ったことのある学校の

先生が50%以上あるというのは、

以前書いたことがあるが、実際、

僕の周囲もアレルギーや神経疾患

のありそうな人は多く、僕には

縁がありそうだと思うくらいだ。

癌になる人も50%という数字が

出ている。羅患して死亡する率は

男性4人に一人、女性6人に一人。

癌は一種の免疫不全だろう。細胞

が傷つくとその修復が行われるが、

その失敗でがん細胞になってしまう

という。

それは突然変異のことだから、僕ら

は突然変異になりやすく、その悪い

例が癌なのだろうか。

基本はストレスという言葉が流行る

ほどストレスが増えたことだろう。

ストレスは病名ではなく、病気でも

ない。不定愁訴の別名だと言っても

いい。

原因は二つ大きく考えられる。文明

の発達による物事を細分化する方向

が進み過ぎたことだ。もう一つはそこ

から主に資本主義ではないが、人が

資本主義をそう捉えた儲け主義が

よく理解されていないことから、

医薬品や食品に劣悪な食材や添加物

が大量に利用されて、目に見えない

健康被害が拡大されて、誰にも

止められないほどに拡散し、大量

生産されていることだ。なので、

僕らはそれを大量消費せざるを得な

い食料環境・医療環境を強いられて

いる。もうそこまで来てしまってい

て、それをどう修正するかという段階

は過ぎてしまっている。

交通事故の対策のようなもので、死亡

事故は避けられない、どれだけ死亡を

減らせるかを考えようという処。

僕らはその弊害を半分に減らすべく

努力する、しかもストレスが生じな

いように無理なく、基本的な調味料

とか、家で調理するとか、薬や病気に

ついてはある程度まで自分で調べて、

自分の体調などと照らし合わせて

おくとか、自己防御の面倒をしなく

てはならない。

神経質になる必要はないので、うま

いものを食べる機会はあれば、それ

は時には、一時忘れてしまった方が

いい。

自分を気分的に縛らずに、無理ない

方向で健康管理を進める。

学術は発展したというが、そのため

に学問分野は細分化して、医者も

学者も法律分野の専門家も自分の

専門以外では無力だ。同じ分野でも

わからないことが多い。

僕の経験では歯医者に多いのが医者

ではない歯医者だ。治すべき歯を

わざと治療を残して、また再来院

させるといった歯医者に数度遭遇

して、良心的歯医者を探す羽目に

なったことが再三ある。治療の経験

は年齢からも回数からも長いので、

中途な治療かどうかはわかる。また

実際に治療が下手なのがいて、歯磨き

粉をサービスしてくれたが、通う気

はないので、見限った。

歯医者になるのは大体、歯医者の子供

で同じ歯医者になる二世が多く、それ

でか歯医者は増えすぎたらしい。

近くにはゲームセンターにあるような

ゲーム機を何台か導入して、子供を

誘っている医院もある。

仕事も細分化が進んで、様々なその

隙間に入る外注産業が定着化したの

だろう。そんなことも仕事になるの?

という猫の手で背中かきます、みたい

な外注もあるようだ。


(あまりに細分化が進んだので、それ

をまとめて、どの部分が大事な中心

で、どの部分がその外側で、重要性

は低いと指摘してくれる、体や心を

診断してくれる未来のAIの分野が

もう5年後には生まれるはずだ。)


それらの細分化による、僕らの

精神、つまり神経に悪影響する

細かい作業や気遣いが仕事に増え

て、僕らはストレスを当たり前に

増やし続ける。山や保養地へ行き、

心身の回復とかするというのは、

当然のことだ。山にはゲーム機も

パチンコもないし、自販機さえない。

仕事を置いて来れば、すべてアナ

ログで、自前でこなさなくてはいけ

ない。体は使うが、神経は無理しな

いから、車に注意したり、信号を気

にしたりしないで、運動しても健康

な体のための運動ができる。

それでもアウトドアスタイルでピク

ニックに来るのなら、なんでも最新

の便利な器具・道具に頼るだろうから、

自然の生活の効果は少なくなる。都会

で運動ジムで体を動かしても、ストレ

スは半分解消できればいい方だ。


僕らは文明社会を経済面でも、生活

面でも人間に真にやさしい方向・未来

への新感覚や感情の豊かさを育て、培う

方向で改革しなくてはいけない時代の

転換点に出会っている。と言うか、

それを転換すべき時期に追い込まれて

いる。

どちらでも同じだ。

子供にそう教えて、そういう教育機器・

教科書を作るような方向で設計して

指導してほしい。そういう全体から

考える教育をどう図るか、そういう

教育者たちを育てなければならない。

例えば、科学を数学と同時に教える

だけでなく、歴史の側面も同時授業

で三つ巴で教えるべきだと思う。


だから、今の戦後を引きづったGHQ

の日本を精神的にせん滅するための

構想から計画された、今の共産思想

を現在まで保つ流れになった人員や

教育組織を潰して、新しく教育をどう

するかを考えられる方向で子供や青年

を育てなければならないだろう。それ

は革命ではない。敵と味方ではない、

彼らと僕らの協同の意識改革になる

はずだ。



意識は、僕らが一人一人何を考えて

いるのかを把握することが大事だと

知ることが優先事項になる。その

はずだ。

科学のこれまでの大成果と大事さとは

別に、なにがこの世を動かしているの

か、その科学ではわからないものへの

健全で真摯な全般への理解が必要になる。



と、あまりに多くを言い過ぎたので、

ここまで。
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