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火事 3件の因は心の1件 [火事]

始まりは「オーメン・ザ・ファー

スト」というつまらなかった映画

を観たことだったと思う。

まず観たいという映画作品では

なかったことだ。時間つぶしで

映画を選んだ。朝の4時過ぎに

起きて、まず午前中は寝ないで

起きていようと考えた。それは

家で過ごしたら、自信がなかっ

た、まるで。ほんとうに眠い

時は、少しでも、寝ようかとか

寝てもいいか、というわずかな

意識さえなく、瞬時に寝入る。

それで目覚めた時に、寝てし

まったと気づくことになる。

だから、家ではなくどこか外で

時間を過ごすという選択になる。

映画にしたのだが、面白い映画

は上映していなさそうだったの

で、次善としてホラーなら寝ない

だろう、と怖そうなホラーを選ん

だのだが、よくなかった。星☆

5つの評価で2つだった。

ともかく演出が下手。他の人は

十分怖いのかもしれないが、僕

には恐怖は物足りず、ただ叫び

声が大きいばかりか、うるさ過ぎ

て耳を塞ぎたかった。すれば怖い

のだろうと隣席の人に思われるの

が嫌でそうしなかっただけ。

興味をそいだのは、悪魔の子、

ダミアンが生まれる理由が、若者

の信仰離れだという、陳腐な設定

だったことだ。神に若者を振り

向かせるために、「反キリスト」

を誕生させて、世の中を混乱させ、

地獄化させて、神の助けを乞う

ように、というものだから、まず

低級な漫画の世界だ。

しかし、キリスト教国の市民には

十分、恐怖があったのではと想像

はできる。神の存在が密着した

ほどに無神論者という言葉がある

のであるから。日本人で無神論者

は一旦、キリスト教やイスラム・

ユダヤ教などの信者になった者

が転向してでなければ、唱えな

い代物だ、無神論は。日本に

真の唯一神の意識はないのだから、

それは概念だとしか思っていな

い自分に人は気づかないだけだ。

それは罪の意識に関わっている。

原罪がなければ、神にはまず

無関心だ。わざわざ無神論だと

断る必然がない。

前書きで長くなってしまった。


2.246事故 

国道246号線がすぐ近くの交差点

を通っている。今までにも数回

大きな事故があったが、今回も

信号を備えた電柱と50㎝も離れた

電柱との2本をへし折って、トラッ

クが衝突するという事故が起きた。

246交通事故1-1.jpg

歩いて行ったら、この状態。左上に

電柱が2本傾いている。その根元

付近に運転台が潰れている。四角い

白の積み荷はコンクリの建材?部品

で相当重いだろう。反対側から見る

と、

246交通事故3-1.jpg

と、トラックの右側面と後方が見え

る。真ん中の白いトラックは2t車

だろうか、ヘッドが潰れているから、

このトラックの正面に初め衝突して

から、そのままの勢いで、右側の

電柱をなぎ倒したようだ。

運転席の屋根に積み荷が落ちそうに

乗って傾いている。

246交通事故2-1.jpg

同じ交差点で、右側に衝突のトラッ

クが隠れて見えないが、県道の車線

に救急車と警察の事故対応の車両が

停まっている。運転手を病院に運ぶ

のだろう。

このあと30分もして戻ってくると、

パトカーが数台来ていて、警官8人!

で交通整理をしていた。信号が倒さ

れたので、無信号でその間に、一車

線通行になり、渋滞が発生していた。

県道側がひどく、今までに見たこと

もないほどで、長く遠くて見えない

ほどだ。


3. 夢のキャンバス

朝、夢を見て、自分では記憶に残る

ほどに回想をくり返したつもりだっ

たが、今は記憶に自信がないほどだ。

う~ん、思い出せるだろうか。

まずキャンバスだ。12号くらいか、

大きめのキャンバスの左上にだけ、

少し、油絵の具が3色くらいかため

て、塗ってある。あとは95%は白い

キャンバスのまま。

小さな舞台のような板の間にあって、

手前の左右の端に、真鍮色の手術用

のような金属皿が一枚ずつ置かれて

いる。その他のキャンバス以外の

付属の品のことが思い出せない。

真鍮皿には水が張ってあり、そこに

花瓶があって、モクレンの花のよう

な白い大きめの花が生けられていた。

その花びらが落ちて、真鍮皿に入ると、

突如燃え出した。これに慌てて、

(姿はないが)職員らしきがその硫酸

もどきの化学薬品の水を捨てて、ふつ

うの真水に取り換えた。

この絵の背景がある。京都の古い

時代に事の発祥があるようだったが、

それ以上にはわからない。

もう忘れてしまった夢の前の部分から

つながった情念が、キャンバスの情景

になり、女がなにか声にはならない

情念と感じられる、これも聞こえは

しない声を響かせているようだ。



よくわからない夢だが、目覚める前に

少し、意識が取り戻せた時に考えた

のは、火事だった。その火事の因は

映画「オーメン・ザ・」でラストで

悪魔の獣をも焼いて逃げるために

放った火事の場面だろう。

悪魔ってこんなに弱く、カトリック

の神父たちにコントロールされる

ほど弱かったか?としらけさせる

場面で、焼かれて、現実の炎で

燃えて死んでしまうと見える絵

だったが、ここにも恐怖に染まれ

ない、底の見えた演出のまずさが

あった。やたら、狂気に歌うよう

な声、血の出産の場面や奇形児の

映像でおどろおどろしさを見せ

つけても、効果は半減、それ以下

だった。信仰が身近なものでは

ないので、感情移入ができない。

国の宗教文化による違いが、ここ

までのものなのかと、限界さえ

感じた。


4.火事

この日、自分の思っていることを

想像・推理してみると、交通事故=

火事という構図が浮かび上がる。

それは油断という隙間から忍び寄っ

て瞬時に大事に至るというパターン

のエピソードだと思えるのだ。

交通事故には居眠り運転の時に

事故にいたるのが多い。なぜそこ

まで眠いのに運転するのか。なぜ

ある時にちょっとした不始末で

火事になるのか。

消防庁の令和3年の出火原因は、

1.たばこ、2.焚き火、3.

こんろ、と圧倒的に人間のミスに

よる小火が大きな火事になった

ようだ。

僕は火事に自ら出向く性質がある

と思っている。その意味は今も

わからないのだが、直接見て、

そこから反省を促すとか、初心に

帰るとか、注意の意識を新たにする

とかがあるのかもしれない。

まだ両親が顕在の時に、家の1階で

は女性に一部屋を貸していたが、

夜中、その部屋の真上で寝ていた

僕はかすかな異臭に目覚めた。

煙があったとかではない。かすかな

ものだった。同じ1階で寝ていた両親

に変なにおいがすると言って、起こ

したのだが、その部屋の女性はその

夜はどこかに泊りに出たらしく、

留守だった。合鍵で父が部屋を開け

ると、たちまち黒い煙が、ドアから

あふれ出てきた。それから騒ぎが

収まると、その部屋の女性が電気

炬燵のスィッチを入れっぱなしで

出かけたのが原因とわかった。

あやうく一家で焼け死ぬところ

だったかもしれなかった。

交通事故では、僕がトラックの仕事

で夜中運転していた頃、僕は運転も

上手く運もいいし、近頃2回事故に

なっているのでもう事故はないだ

ろう、と安心していた時だった。

そういう頃のある晩に雨だったが、

自動車道路で2車線、追い越し車線

側の乗用車がやけに寄って来ていた。

始めは雨の所為で視界が悪いのか、

と思ったが、クラクションを鳴らす

前に急接近して、少し接触してし

まった。やっと気がついて、2台で

路肩に停めて、事後処理をしたが、

「(私)寝てましたか?」まさに

寝呆けた事を聞いてきた。眠いのに

運転するなよ、という話である。


僕は気づいた。僕は運がいいから

事故にはこれ以上遭遇しないと、

自分を胡麻化していたのを悟った。

なぜなら、それが重要なのであるが、

2回遭っていたから、3度目の正直

が実は内心恐れていた。この恐怖が

居眠り運転の車を引き寄せたの

だろう。引き寄せが強い者は隠れた

恐怖心を抱えては危ないのだ。

しかし、気づかなければそれまで

ではないか。交通事故は自分は平気

だ、ではなく、当たり前に怖いと思っ

ていなければ、事故の危険性は増して

いると思った方がいい。


魔がさすのは一瞬だ。さしても心に

注意が行き届いているのならば、

危険はない。恐れを隠していない、

あっけらかんとした心なら、何も

やっては来ない。

だから、眠気に対抗するという中途

半端な理由で選択した映画鑑賞

「オーメン・ザ」は失敗だったの

だろう。心にわけのわからない負担

を与えてしまったらしい。

現実に交通事故を見るのも、恐怖

の事後処理を夢で試みたのも、

その心理的な表れだったのだろう、

と思えるのである。

火事は僕の心で起きていたのだ。

その日の恐怖はその日のうちに

(火事のように)消さねばならない、

そうなのだろう。現実も夢もその

一部はこうして恐怖によって作られ

てゆく。多くは心に隠された恐怖

によって。

自分を知る、というのはそういう

ことだ。僕らは会社や仕事を失わ

ないために無理も時にはすべきだ、

と思う。それは構わないが、その

事後処理は心にしないで、放って

おく。それは僕らの生活で日々に

起こっていることであってみれば、

目の前のことを疎かにしてはいな

いとする自分、実は疎かにすること

がどういうことか覚えない自分、

そういう知らない自分をどんどん

増やしている。恐怖は知らずに

溜まってゆく。家に帰ってから、

自分のためのひとりになる1時間

が必要なのは、そういう自分と

つき合う時間を作りなさいという

ことだ。


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